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寄稿文 カナダ - 日本

刺青の威力
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    ヒラリー氏

     

     

    最近親しい女友だちが、左の二の腕の肩に近い部分に刺青をした。

     

    ビクトリアのダウンタウンでやったそうだが、図柄は葉をつけた赤いポピーで、その出来上がりには大いに満足していると言う。あまたある店を前もって幾つか廻って調べた結果、"ルーニー"と呼ばれるカナダの1ドル硬貨(親指の先)くらいの大きさの場合、何処も$100150と言うことが分かり、客の応対が一番良かった店を選んだそうだ。

     

     

     

    今や刺青は若者を中心としたポップカルチャーの象徴の一つ。特にBC州では、とうの昔からカナビス・カルチャーと相まって今更驚くに値しない流行である。と言え、痛い思いをするのだから、施すには誰にもそれなりの動機や理由がある筈だ。

     

    友人の場合は「自分の弱さを断ち切りたかったから」と言う。つまりその為のインセンティブが欲しかったということだ。一見すると彼女は決して「弱い」と言う感じを受ける人柄ではないが、それなりの心の葛藤がきっとあった故であろうと理解した。

     

    刺青はただ「カッコいい」からと言うばかりではなく、人によっては「心の苦しみから抜け出す一つの手段」である場合が多いとはよく知られることだ。

     

    特に女性の場合は、例えばレイプなどの悲劇のトラウマから、また兵士などは戦場での悲惨な体験から立ち直れず、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を抱えている場合など、刺青が精神的な支えを与えると言う。

     

    一方、美容のために眉毛の薄い人が黒の刺青をする人を見ることがあるが、これは色が落ち着くまで中々時間が掛かるようで、当初はメキシコの女流画家フリーダ・カフロそっくりになる。

     

     

    また毎日眼の廻りにアイライナーを描くのが面倒、口紅を塗るのが億劫ということで、色を付けた女性を知っているが「その痛かった事と言ったら!」と述懐していた。これは刺青とは言わないのだろうか。

     

    そういえば最近日本(大阪)では、医師免許がないのに客に刺青をした30歳の男性彫り師が、医師法違反の罪にとわれていたが、大阪高裁は「タトゥーは医療を目的とする行為ではない」と判断し、一審で下した罰金15万円と賞罰を破棄して無罪にした話が多いに話題になった。

     

    もちろん裁判では、保険衛生上の問題点など各方面からも検討されたというが、今や美術的な意義や社会的風俗という実態があることを考慮し、「医師の業務とは根本的に異なる」と判断されたと言う。

     

    とは言え、まだ日本ではヤクザ映画などの影響で、刺青と言えば暴力団とオーバーラップし、負のイメージが浸透している。だが来年(ラグビー)、再来年(オリンピック)には大々的なスポーツの祭典が、また2025年には大阪万博が開催されるのに伴い、タトゥーをした多くの観光客が訪日することも容易に考えられる。それを受けて最近では温泉旅館などでも、彼等を受け入れる動きも出始めているとか。

     

    くだんの友人も彼女が日本人と分かると、タトゥーイストが「日本のホット・スプリング(温泉)に行けないよ」とニヤリとしながら目くばせしたとか。対して彼女は「もし文句を言ったら、そんな温泉には行かないから問題ない!」と返したと言う。ビクトリア在住の彼の友人で英語教師として訪日した男性が、滞在中の二年間刺青のある薬指にずっとバンドエイドをしていたという話を知って彼女をカラカったらしい。

     

    でも「一体どんな人がお客さんなの?」の質問には、「もうそれは様々でそれぞれが沢山の理由で来るよ」と言い、最高齢は93歳のおばあさんだったとか。

     

    しかしやはり年齢が上がるほどに、鈍痛からの回復には時間が掛かるということだ。

     

    〜*〜*〜

     

    記せずして11月24日付け朝日新聞は以下のような社説を掲載している:

     

    https://www.asahi.com/articles/DA3S13782909.html?ref=nmail_20181124mo

     

    〜*〜*〜

     

    私の大好きな歌人、与謝野晶子の罌粟の花にまつわる歌に以下の一句がある。

     

    女流詩人として大活躍する晶子とは裏腹に、創作に行き詰まり、庭の蟻がせっせと動き回っているいるのさえ「当てつけ」と思えるようになった鉄幹。

     

    夫婦の関係に亀裂が生じていた時、晶子は大きな屏風に筆で歌詞を書いて売るなどで資金を選出し、夫に新開地が開けることを切望しながらヨーロッパに送り出す。

     

    その後、晶子自身も鉄幹を追って欧州旅行に同行する。時は5月、仏蘭西で見た罌粟の花(コクリコ)の野辺を見て詠ったものに以下の一句がある:

     

    ああ皐月

       フランスの野は 火の色す

          君もコクリコ 我もコクリコ

     

     

    人生の諦観を詠んだこの歌も心に沁みる一句である:

     

    罌粟の花

        崩れしままを見るごとく

            悲しきことはそのままにおく

     

     

     

     

     

     

                    

     

     

    | - | 01:02 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    カナダ国内でマリファナ(大麻)解禁
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      ヒラリー氏

       

       

      2018 年10 月17 日は、二年前にジャスティン・トルードー氏が首相になった時からの公約であった「嗜好品としてのマリファナ喫煙」が、連邦政府として立法化(C-45 )された日である。

       

      解禁を喜ぶ若者

       

      カナダの夜明けは、東部のニューファンドランドから始まるため、当地では若者たちが我先にと店に押しかけ、長蛇の列を作る光景がニュースとして流された。

       

      国全体が承認しているのは南米のウルグアイが先であるが、先進国(G7)の中ではカナダが初めてである。米国の場合は、ワシントンDC やカルフォルニア州など9 州では許可されているが、カナダと違って連邦政府としては違法である。

       

      トルードー氏が2015年に首相に選出されたのは、この公約ゆえに若者から絶大な支持を得た等とも言われたせいか、彼らは「約束が違う、一体いつ法案が通過するのか!」といら立ちを隠さなかった。

       

      4月20日のマリファナ・デーには、すでにこんなハリボテが市庁舎前の広場で気勢を上げた

       

      政府が立法化に踏み切った理由は、今までのように違法を承知で犯罪組織の資金源として売買されるのを防止するためであり、また若者たちが陰で喫煙や取引をして警察に挙げられるより、合法化して規制するためと言う。

       

      何しろ50 万余人ものカナダ人が所持によって「前科」と言う罪状を背負っており、米国などに入国は出来ない。これを取り消すには「恩赦」に頼るしかなく631 ドルと5 年間の待機期間が必要である。

       

      今年の4月20日 市庁舎前で

       

      もちろんカナダ国内でも賛否両論があり、小さな子供やティーンエージャーなどがいる家庭や高齢者たちの間では「賛成しかねる」と言った意見が多く聞かれる。

       

      加えてヘルス関係者たちからは、まだ研究や調査が十分とは言えないうえ、将来の健康(特に若者たち)への影響が懸念されている。

       

      解禁以前に、すでにこんな光景が見られた

       

      国内のメディアは何処も、大人の喫煙の煙が子供たちへどの様に影響するか、更には大麻入りのアメ、クッキー、嗜好飲料水などが子供の手に渡らないように細心の注意をする必要があるとし、今後起きるであろう不安点を採り上げ「立法化をただ称賛すべきではない」との論調である。

       

      当然ながら法の履行に伴い国は細かい規定を幾つも儲けている。その詳細を知りたいと思い、筆者は連邦政府の10 州と3 準州のすべてのウェブサイトを丁寧に調べてみた。

       

      各州とも以下の3 か条は一致している

      1.(ケベック州以外)19 歳以上であること

      2.30gまでの所持が可能

      3.一家(一人ではない)で4本までプランツを栽培することが出来る

       

      この時期サイトのトップに詳細が掲示されているのは当然だが、オンタリオ州やノバ・スコシア州などは誰にも分かり易くスッキリと解説されている。

      一方ケベック州などは前置きの説明が長くて難解な上、年齢は「18 歳以上(at least 18 years old)」とある。他州と比べ一年の差があるわけだ。

       

      ではオタワの日本大使館のサイトはどうかと見れば、「海外での薬物犯罪・違法薬物の利用・所持・運搬」の欄に一般論としての詳細はあるもののC-45 につては一切触れていない。

       

      もちろん日本でもNHK を始めとする放送媒体や各新聞が国際ニュースとして報道したが、何処も「日本は大麻の所持・譲受などは違法で処刑対象になり、海外で行われた場合でも適用されることがある」と結んでいる。

       

      日本が薬物の取り締まりに厳しいのは知る所だが、更なる詳細を知りたいと思いバンクバーの日本領事館に問い合わせたところ以下のような返事があった:

       

      1.(誰にでもわかることだが)、国内に持ち込みをすれば逮捕される

      2.もし犯罪に関与していることが分かった場合「国外犯」の規定によって処刑対処になる

      3.大麻取り締まり法の適用法では使用は禁止されていない

      4.入国管理局では取り締まれないが、その点の詳細は税関に問い合わせること

      5.厚生労働省が詳細を把握しているので問い合わせること:03-5253-1111(代表)

       

      今のところバンクーバーの領事館に寄せられる外部からの問い合わせは、法律の文言の意味についての質問が主であるとのことだ。しかし難しいのはカナダ国内では違法ではなくなったため、もし「吸わないように」と言ってしまうと内政干渉になりかねないという点であるとか。

       

      もしカナダを発つ前に喫煙をしており、入国の際に何か他の理由で逮捕された場合、例えば尿検査が陽性だったらどんな扱いを受けるのだろうか。

       

      ふと1989年の長野冬季オリンピックでの出来事を思い出す。その時からスノーボードが競技種目に入ったのだが、バンクーバーから行ったボーダーのロス・バグリアディ選手が金メダルを取ったものの尿検査で陽性と出たため警察に捕まった。

       

      この時の彼の言い訳は「壮行会で周りの友人たちが喫っていた煙をが体内に残っていた」であった。オリンピック委員会とどんな取引がされたのか定かでないが、一時剥奪された金メダルは彼の元に戻った。

       

      もちろん厳しい日本と言えども、オリンピックの規制をそのまま入国する人々に適用されるとは思えないものの、そんな素朴な疑問も感じる。

       

      まだ成立して間がない法令のため、今後の動きに更に注意する必要がありそうだ。

       

       

       

       

       

       

      | - | 08:32 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      死者を悼む
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        ヒラリー氏

         

        バンクーバー・アイランドに住む日系人や日本からの移住者で、八月半ばにRoss Bay墓地で行われるお盆の行事を知らない人は余りいないかもしれない。

         

        1989年8月5日に建てられた記念碑

         

        これはVictoria Nikkei Cultural SocietyVNCS)が主催するもので、ビクトリア日本友好協会(VJFS)も協力するなどして行事を盛り上げる。

         

        日本で「お盆」と言えば、丁度中国のお正月「春節」のように、家族連れで(普通は夫の)実家を訪れるため、毎年この時期は交通渋滞が話題になる。

         

        夫には故郷の旧友たちと、久し振りに飲みに行く楽しみもあるようだが、妻は休む暇なく夫の実家で家事を手伝わなければならず、何のための盆休みかと憤懣やる方ない人も多いとか。

         

        そこで近年は、夫と子供だけを送って妻は自宅で一人のんびり・・・、と言うのがはやっていると聞く。「さもありなん」と妻の気持ちに同情するが、一方夫の両親たちには、お嫁さんに気遣いなく孫との時間を楽しめる利点もあると言われている。

         

        「お盆」などと言う習慣はないカナダだが、ここにも家族が集う「復活祭」「感謝祭」「クリスマス」があり、それなりに似たような問題が生じる場合もあると聞く。

         

        さてRoss Bay墓地のお盆の集まりは、特に西海岸方面では知っている人も多いように、もう何年も続いている行事である。

         

        バンク―バー・アイランドの各地に散在する日系墓地

                 

         

        毎年Stevestonの仏教会からグラント・イクタ開教師がこの島に来られて、2日を掛けて島内のNanaimoDuncanChemainus Port Albanyなどなどにある幾つもの日系墓地を巡る。

         

        Ros Bay墓地−グラント・イクタ開教師によって祈祷が始まる

         

        私は3年前に初めてこの墓参行脚に参加し、戦前ここに多くの日系人たちが確かに生存していた足跡を目にして驚愕した。と言うのが私がトロントで出会った日系人たちは、BC州方面の出身者が多かったものの、ほとんどは戦後強制収容所からは解放されたものの、住み慣れたBC州の故郷に帰ることを4年間禁止されたため、東部に移住した人達だったからだ。

         

        この島に残っているのはお墓ばかりではない。ビクトリア市内には、昔日本人移民向けにホテルを経営していた建物の入り口に、家主(リンノスケ・オオサワ)のイニシアル「R」が真鍮で埋め込まれていたり、多くの日系人子弟が通ったVictoria高校、スポーツを楽しんだRoyal Athletic公園などが今も健在なのだ。

         

        僅かだがいまだに残る「R」のイニシャル

         

        そんな驚きのインパクトが、昨夏終了した翻訳本「希望の国カナダ・・・、夢に懸け、海を渡った移民たち」の出版に繋がったのである。

         

        二年係りで翻訳を終え陽の目を見た訳本

         

        永かった翻訳作業の間に何度も思ったことは「彼らの頑張りが今の日本人移住者(そのほとんどは国際結婚の女性たちである)が安定してこの国に住めることに繋がっているのであろうと思ったものだ。

         

        膝を付き一年の間にびっしりと苔むしたコンクリートの囲いを洗う

                    

                    水をかけ墓石を清める

        そんな感謝の意味も込めて、年一度のRoss Bay墓地でのお盆の行事に参加して、先祖の墓石を清め、一輪の花を添え、幼くして亡くなった子供の墓には縫いぐるみを置く(もちろん後からすべて回収する)のは大切なことに思える。

         

        Oriental Homeと呼ばれた救済所の子供たちの墓

                   

                                        ボランティア同士仲良く協力し合って墓所を掃除

         

        何よりも清々しいのは、ボランティアの人々が惜しみなく力を併せ、先祖の死を悼む一時に真摯に向き合っていることである。

         

        風雨でダメージを受けた墓石をしっかりと調整する

                  

                  ボランティアが働いている間、尺八を吹いて労ってくれる奏者

         

        「お盆」という行事のあるべき姿を見る思いがする。

         

         

         

         

         

         

        | - | 02:08 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        時代と共に変わるもの
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          ヒラリー氏

           

           

           

           

          春たけなわの5月に世界を席巻した一番のニュースと言えば、何と言っても19日に執り行われた英国のハリー王子(33)とメーガン・マークル(36)の結婚式であったろう。

           

           

          王室や皇室の人々の結婚式は、庶民の日常からは掛け離れた出来事であるから、いつの時も耳目を集めるのは当然だが、それにしてもハリー王子のお相手には驚いた人が多かったようだ。

           

           

          女優としてのキャリアを持ち、しかも離婚歴がある。加えて母親が黒人、父親が白人と言うバックを持つアフリカ系米国人。

           

          一方ハリー王子と言えば、マリファナの喫煙や飲酒で問題を起こしたり、友人の仮装パーティーにドイツのハーゲンクロイツ(鈎十字)を腕に巻いた扮装で出席したり、はたまた全裸写真を撮られたり・・・。

           

          お騒がせ行状の多い若者だったが、その度言われたのは12歳で母親のダイアナ妃をあのような形で亡くしたことがトラウマになっていると言う「可哀そう節」である。

           

           

          まあそんな王子様だっただけに、3歳も年上の大人の女性と結ばれたことに英国民の多くは安心したとか。確かに異色のカップルであることに間違いないだろうし、結婚式にも独自性があふれていたことは、今更書くに及ばない程話題をさらった。

           

          英王室でただ一人正統派の威厳を保っているエリザベス女王が、この一連の流れを心の奥の奥でどう思っているかは知る由もない。しかし女王の4人の子供の内、一番下のエドワード王子のみが一回目の結婚を維持しているのみで、後は全員離婚経験をしており、その都度醜聞をまき散らしている。長男のチャールス王子に至っては・・・。

           

          となれば、欧州で一番伝統を重んじ格調高いと言われる英国王室と言えども、ハリー王子の異色振りなど今更驚くに値しないかもしれない。

           

          「人は世につれ、世は人につれ」(本来は「人」が「歌」である)ではないが、時代と共に世の中は変わって行くのである。

           

          多様性を意識した二人が伝統をそれなりに重んじながらも、変容、寛容、人種の融和、と言った今後の進むべき道を結婚当初から示したことに大きな拍手を送りたい。

           

          あの荘厳な英国国教会の中で、黒人ゴスペル隊が「Stand by Me」を歌ったのも何と異例で素敵なことだったろう!

           

           

           

          そんな思いをしみじみ感じた2週間後に、私は日本の公益財団法人 海外日系人協会(The Association of Nikkei & Japanese Abroadが、ハワイで開催した「海外日系人大会in Hawaii」というイベントに参加した。

           

          例年の開催地は東京なのだが、今年は日本からハワイに初めて移民が渡ってから150年目に当たるため、盛大なイベントが当地の記念行事コミティとの協賛でワイキキで執り行われたのである。

           

          それに併せて日本からは秋篠宮ご夫妻が参列されたのだが、英国の王室とは「何と言う違い!!!」かと私は思わず大きなため息を漏らしてしまった。

           

           

          会場へのお出ましは3回ほどあったのだが、出席者には前もって「あれをしてはいけない」「これをしてはいけない」等の決まりを知らされた。

           

          またその都度の秋篠宮様の祝辞も決まり切ったものの上、壇上を降りての出席者との交流も形ばかり。

           

           

          しかしこう書けば、「日本の皇室は諸外国の王室とは違う。万が一のことがあったらどうする!日本には日本のやり方がある」という声が必ず聞こえる。

           

          だが本当にそうだろうか?

           

          特に今回は、ハワイと言う南国のリラックスした雰囲気の中でのことなのだ。形だけを重んじるのではなく、時代と共に、そしてその場の状況に併せもう少し臨機応変に柔軟性を持たせては何故いけないのだろか。

           

          心底そう思える、心に刻まれることの全くなかったご臨席であった。

           

           

          だがこれも時が過ぎれば、「ハワイへの移民開始150周年にあたり、日本からは秋篠宮ご夫妻が・・・」となり、ご出席したことだけが燦然と歴史に刻まれることになるのだろう。

           

           

           

           

           

           

           

          | - | 07:20 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          ビクトリアで見るイサム・ノグチ
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            ヒラリー氏

             

             

            それは勿論レプリカなのだが、それにしてもあの有名な彫刻家の「レッド・キューブ(Red Cube)」と呼ばれる赤い彫刻をビクトリアで見ることが出来るとは誰が想像しただろうか!

             

             

            ある日、ビクトリアの町を南北に走るCook St. を北に上がり、シャクナゲの花で有名なPlayfair Parkに出かけた帰り、辺りに咲くハナミズキ、藤、木蓮、ライラックの花々を愛でながら運転していた時、パッと目に飛び込んできたのがあの赤い彫刻だった。

             

            町中に点在して咲くハナミズキ

             

            一瞬自分の目が信じられなかった。「ここはNYではないわよね?!」と思わず自問したが、まるで何かのイル―ジョンでも見ている気さえした。私は「まさか・・・!?まさか!?」を連発しながらブレーキを踏もうとした。だが後車が迫っていたため、そのまま運転を続け近所の道をグルっと廻って元の場所に戻った。

             

             

            しかしそれは夢でも幻想でもなく、木々の間から見えるのは紛れもなくイサム・ノグチのあの彫刻だったのだ。急ぎ車を降り、吸い込まれるように“物体”のそばまで走り寄った。その家は当地で良く見られる奥に広がる細長い土地で、前面に家が一軒建ち、脇の細長いドライブウェイに沿って進むともう一軒が奥に建っている敷地。彫刻はその奥の家のちょっと小高くなっている前庭に置かれていたのだ。

             

             

            私は「う〜っ!」と唸りながら、ためつすがめつ眺めていたところに家主がBMWの素晴らしいスポーツカーでご帰還になった。私は慌てて無断で庭に入った無礼を詫び、如何にこの彫刻が好きかを説明した。中年のその男性はニコニコしながら快く「No problem」と言い、写真撮影の許可もくれた上、私の矢継ぎ早の質問にも答えてくれた。

             

            知っている人も多いだろうが、この彫刻のオリジナルは2001911日のNY同時多発テロ事件が起こったすぐ近くに置かれている。しかしあの大惨事にもかかわらず、びくともしなかったのだ。

             

            NYのグランド0近くに立つ本物のRed Cube (2005年)

             

            まず私は何故この作品に引かれ、自宅の庭に置こうと考えたのかを聞きたかった。だが答えはあっけないほど簡単であった。ドイツ系カナダ人の彼はAir Canadaのパイロットで、職業柄何度もNYに行くため、回を重ね見る内に愛着が湧き、今の家を新築した時に鋳物屋に頼みレプリカを造って貰ったのだと言う。

             

             

            彫刻家自身のことは、日系アメリカ人のアーティストだったと言う以外は余り知らないようで、ロング・アイランドにあるイサム・ノグチ庭園美術館(http://www.noguchi.org/)にも出かけたことはなく、ましてや香川県牟礼町にある同名の庭園美術館(http://www.isamunoguchi.or.jp)のこと等はまるっきり知らなかった。

             

            NY Long Island の庭園美術館 (2005年)↓↑

             

            高松・牟礼市の庭園美術館の入り口(園内の彫刻は撮影禁止)2016年

             

            だが私が余りにも熱心に話すのに引かれてだろうか、「チャンスがあったら将来行ってみましょう」とは言ってくれた。しかし家の前に見えるFor Saleのサインに私がいぶかると「そう、この家は先日売ってしまってね」と言うではないか。「じゃ今度の家主もこの彫刻が好きなのですね?」と聞くと「Oh No!」力強く言い「これを取り去ることが売る際の条件だったんですよ」と笑う。

             

            「ではどうするのですか」の質問には「いやちょっと迷ったけど、ドイツに住む母親が欲しいと言うからタンカー船で運ぶことにしているんです」と言う。本来のパイロットと言う職業以外にも不動産の売買を手広く手掛け、雪だるま式に富が富を生むビジネスを展開しているように見受けた。

             

            「ああここにも一人、実にビジネスマインドをしっかりと持つドイツ人系の人がいるのだ」と心底感心してしまった。もしかしたら、ヨーロッパでこの作品が売れる目途さえ付いているのかもしれない。

             

            世界のあちらこちらに作品を遺し、後世に名を知られるイサム・ノグチ。日米の狭間に生れ育ち「アイノコ」等と言った言葉が堂々とまかり通っていた時代に、日本にもアメリカにも寄って立つ場所を見付けることが出来なかった孤高の彫刻家。晩年は安住の地を牟礼に見出し、純日本的な生活をしながら多くの作品を生み、自分で彫った卵型の石の彫刻の中に遺灰を納めてしまった。

             

            庭園内の高台から瀬戸内海を望む。ここに卵型の石像が立ち遺灰が納めれれてる

             

            ちなみに、ほとんど世に知られていない彼のアメリカ人の母親の名を冠した映画(レオニー/Leonie)は、松井久子と言う監督によって2010 年に世に送り出された。

             

            今思い出しても懐かしいのは、2013年にトロントの日系文化会館で初めて「Japanese Film Festival」が設立された時、その第一回目の華やかな開催に伴い、当時私が所属していた女性グループが監督を招待し盛大な上映を行ったことである。

             

            松田久子監督の作品 「レオニー」(Leonie)

             

             

             

             

             

             

             

            | - | 23:30 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            ティーンエイジャーとマリファナ
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              ヒラリー氏

               

              先月の420日(金)は、「マリファナ・デー」であった。ビクトリアは毎年この日に市庁舎の前に愛好家たちが集まる。

               

               

              今年は薄曇りで肌寒い雨模様の日であったにもかかわらず、例年通り若者を中心に多くの人々が日付けと同じ4:20pmを待ち気勢をあげた。

               

              二年前のこの日は、若者たちが多いに怒っていた。

               

              と言うのも、2015年秋にジャスティン・トルドー氏が首相になった時、多くの若者からの支持を得た理由の一つは「マリファナの規制を無くす」旨の公約を掲げたからだった。しかしその時までは際立った動きがないことで「約束が違う!」と愛好家たちが不満をぶちまけていたのだ。

               

              だが今年は、予定されていた2月頃の立法化(C45)は見送られたものの、8月には「(タバコと同様)レクリエーショナル・マリファナ」が解禁されることが最近明らかになったため、大喜びであた。

               

              市庁舎前はどこも若者で一杯

               

              筆者はこの日、市庁舎前の広場に行き若者たちの円座に入って彼らの想いを取材した。

               

              *まだ公に解禁ではないのに、こうした公共の場で喫煙は許されるの?

              「何も問題はないよ。だって後は時間の問題だろ。特に今日はお祭りの日だし、ポリスはいるけど何も言われないよ。きっと彼等だって吸っているんじゃない」と言い、どっと仲間たちが和し「もちろんさ!」「絶対だよ」と言う。

               

              *君たちが吸い出したのは何歳くらいだった?

              7歳」「14歳」「16歳」・・・

               

              *何がきっかけだったの?

              「僕はバイクで大怪我をして入院したけど、どんな痛み止めの薬も効かなくてマリファナに行き当たったんだ」「親も吸っているのが分かって、それなら自分もと思った」「いろんな嫌なことが重なってエスケープするために始めた」

               

              *喫えばハイになるって言うけど君たちはどんな気持ちになるの?

              「とてもリラックスしてすごくいい気持ちになるんだ。嫌なことが忘れられる」

               

              *一ヶ月どの位のお金を使うの?どうやって賄っているの?

              1000ドル位かな。僕の場合は親のペットショップのビジネスを一緒にしているからお金には困らない」「ほとんどの友達は学校に行きながら余暇にいろんな仕事をしているからね」

               

              *車を運転する前に喫ってはいけないっていうけど、それは守っているの?

              「うん、それはしないね。ハイになると危ないからね」

               

              *若い人が吸うことに対して皆はどう思うの?

              「やはり余り若いと成長する途中の脳に影響があるから勧められないね」「僕は10歳前から吸っているけど問題ないよ」

               

              *タバコと同じで19歳からと法律で決まることになるけど、それには意味があるわけね?

              「まあ、一応ね。でも個人差があるからね」

               

              *これからもずっと吸うことになるわけね。辞めることは考えないの?

              「今は全然!もちろん、将来のことは分からないけどね」

               

              *学校では生徒全員が吸っているの?

              「そんなことはないよ。吸わない子は吸わないし、体質的に喫えない子もいるしね」

               

              *でも集まってパーティーなんかする時、吸わないと仲間に入れないんじゃない?

              「うん、居心地は悪いだろうね」

               

              一見のみではわからないものの、話せば皆元気で素直な将来のある若者たちである。

               

              若者の許可を得て筆者が撮影

               

              まだ医学的に見てマリファナには一切害がないと言う結果は出ていないと聞く。身体的、経済的に足元をすくわれることのないようにとの思いが、単に老婆心であって欲しいと願わずにいられない。

               

              この夏に公約通りリクリエーションナル・マリファナに「Go」が出ても規制はいろいろと儲けられる。

               

              例としては職場、公園、遊園地、バス・電車の停留所、ドア・窓・空調設備から7m以内は禁煙。年齢はタバコ同様に19歳以下はご法度である。

               

              値段は今のところ平均1グラム/$10.00Cadと言われるが、質の良し悪し、種類などによって異なり、また州・準州によっても相違がある。

               

              1989年の長野冬季オリンピックからゲームに加えられたスノーボードで、バンクーバー出身のロス・バグリアディが金賞を獲得。

               

              だが尿検査でマリファナが検出されたため金は一時的に剥奪された。彼の言い分は「壮行会で周りが吸っていたため、それが体内に残っていた」であった。

               

              日本では、オリンピックはもとより、非常に厳しい取り締まりがあることを肝に銘じたい。

               

               

               

               

               

              | - | 07:50 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              青函トンネル30周年
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                ヒラリー氏

                 

                先日日本からのニュースで青函連絡露ンネルが開通して3月7日で30年になる事を知った。

                 

                 

                周知の通りこれは、本州と北海道を結ぶ海底トンネルである。荒波で有名な津軽海峡の海の底を通過するのだが、二年前の2016年3月からは新北海道新幹線も通るようになった。

                 

                 

                文字通り二つの陸地を結ぶ大動脈であるが、今はその老朽化も進み多くの課題があるという。しかしそれでも改善に挑みながら、人やモノを日々運び続けていると言う。

                 

                このニュースを読みすぐに思い出したのは、もう10余年前に一人旅で竜飛岬まで行き、本州最北端の地に立った時に見た波の荒さだった。

                 

                それは聞きしに勝るもので、ともすると強風で体が揺らぎ、何かにつかまらなければ吹き飛ばされそうになる。

                 

                そんな場所に出かけたのは、長い事寄稿している青森のタウン誌に挨拶に行った帰りで、季節は冬を迎える直前の11月初旬であった。私が訪れた日を最後に翌年の4月中頃まですべての観光施設が閉じられると聞かされた。

                 

                地下にある青函トンネルミュージアムにも脚を延ばしたが、文字通り観光客は私一人。それでもケーブルカーを動かしてくれ、礼儀正しいちょっと青森訛りのある案内嬢が一人付いて、丁寧に説明してくれるのをじっくりと聞いた。

                 

                トンネルの構想から完成までは24年間を費やしたという。その間の出来事を立体モデルで再現し映像や音も交え展示されており、工事がどれ程難航を極めたかを目の前に見ることが出来るのだ。実際掘削に使われた器械,機械類も置かれており当時を忍ぶことが出来る。

                 

                たった一人の観光客のために、余り時間を取らせるのは悪いとは思ったのだが、展示を見ながら進む内に私は何か胸にこみ上げるものがあるのを押さえることが出来なかった。

                 

                「人間ってこんな難題にも果敢に取り組み、完成させてしまうのか!」と思ったら自然と涙が溢れてしまったのだ。

                 

                私は自分の想像を超える凄い創造物を見ると、すぐに感動する癖がある。例えばパリのノートルダム寺院、スペインのサグラダファミリア、ヨーロッパや日本で訪れた数々のお城・・・。

                 

                それらの建設に伴って犠牲になった人々を思うと涙を抑えることが出来ないのだ。

                 

                もちろん青函トンネルもその一つ。

                 

                 

                案内嬢が訝しげにチラチラと顔を見ているのに気づき、心の内を説明すると「沢山の観光客の方が来られますが、お客さんの様に感動する人は余りいません」と言われてしまった。

                 

                当地を訪れる人の中には、断崖から飛び降りて自殺をする目的の人もいるとかで、私の涙は何か問題があって悲しみを抑えているのかと思われようだ。女の一人旅となればそう思われたのも無理からぬ事と、後から一人苦笑してしまった。

                 

                折も折りトンネル完成から30年というニュースを聞いた直後に、何ともタイミングよく「海峡」という映画を見ることが出来た。もちろん映画となればある程度の虚飾はあるだろうが、改めて諸々の詳細を知った。

                 

                地質調査の開始は1946年であったものの、最初は誰も信じなかったトンネル工事を実際に開始させる大きなきっかけは、1954年に起きた青函連絡船・洞爺丸が台風で転覆し、貨物船を含め1430人が犠牲になった事故だったと言う。10年後の1964年に着工したのである。

                 

                それにしても、帰りにバスでJR津軽線三厩駅まで戻り、駅前の店で買った小粒の乾燥ホタテのスナックは今でも味が忘れられない。カナダに戻ってからその感激度をお伝えしたくて 製造元にお礼の手紙を送ってしまった。

                 

                その味は私にとって「想像を超える凄い創造物」であったからだ。(爆笑)

                 

                 

                 

                 

                 

                | - | 02:49 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                二人三脚
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                  ヒラリー氏

                   

                  聞くところによると、「二人三脚」という競技は今でも日本の学校の運動会でのハイライトの一つと言う。これは2人一組になり隣同士の足首を紐で結んで駆ける競争で、肩を組み「イチニ、イチニ」と呼吸を合わせて走るのがコツ。息が合わなければ必ずこける。

                   

                   

                  それをもじって一般社会では、良き仲間同士の仕事振りや、はたまた仲良しの夫婦を指す慣用句になっている。もちろんポジティブな意味合いで使われるが、特に夫婦の場合は好もしい関係として受け取られる。

                   

                  「気候が温暖」という最大の理由で、リタイア後に西海岸に引っ越してくるシニアたちを見るとこういうカップルは多く、何処に行くにも何をするのも一緒。散歩や日常の買い物はもとより、観劇、旅行、パーティー、挙句はエキササイズのクラスまでいつも同伴なのだ。

                   

                  まるで「つがいの鳥」のように、一人を見かければ必ずお相手が近くにいる。武者小路実篤の名言通り「仲良きことは美しきかな」を地で行っているのだ。

                   

                   

                  しかしどんなに仲睦まじくでも必ず一緒に死ぬとは限らない。多くの場合女性が残される。となると夫が亡くなった後の数年は、女性が一人で生きなければならない。

                   

                  しかし良く聞く例は、一時は奈落の底に落とされた感があっても、時間が経てば生き生きとして独り身を謳歌する女性は多いとか。その場合は、女性に最低限の経済力がある事、また趣味や社会活動などで時間を分かち合う仲間がいる事が大きいようだ。

                   

                  最近英国からのニュースで話題になったのが、Minister for Loneliness(孤独問題担当国務大臣)という役職が選出されたことである。同国では高齢者に限らず、一ヶ月以上親戚や友人などと一言も会話をしない人が何と20万人もいる事が分かったそうだ。

                   

                  だがこれは英国だけの問題ではなく、ビクトリアでもいかにも寂しそうな風体でトボトボ歩く老人を見かけることは珍しくない。服はヨレヨレ、頭はボサボサ、すれ違うと体臭がして日常生活が容易にしのばれる。殻に閉じこもる蓑虫に例え、ここでは彼らをコクーン症候群と呼ぶ。

                   

                  ところでよく話題になる「世界で一番の長寿国は何処か?」という問いには、調査機関などによって異なるため信憑性が定かでないことがある。時にはアンドラ公国(スペインとフランスの国境)が出て来たり、漢方ドリンクが普及している為に香港が一位だと言う説もあったりする。


                  その中で一番信じられるのはWHO(世界保健機構)ではないかと思うが、最新(2016年)の統計では、予想にたがわず日本(83.7)が一位でスイス(83.4)シンガポール(83.1)と続く。カナダは12位(82.2)で100歳以上は8230人いる。

                   

                  人口が異なるため単に数で比較は出来ないものの、日本には6万7千人いて年々増加傾向にある。政府はこれを受け国を挙げて「人生100年」を謳っており、まだ現役の人がよく話題になる。

                   

                  そんなcentenarianが書いた著書も何冊かあり、美術家篠田桃紅(とうこう)さんの『103歳になってわかったこと』(幻冬舎)、女性写真家笹本恒子さんの『好奇心ガール、今101歳』(小学館文庫)などが良く売れているとかで、今流に言うとアラハン(Around100)本というのだそうだ。

                   

                  某調査では2007年生まれの子供は、その50%までが100歳前後まで生きるとの計算があるとか。長生きは世界的傾向となれば、如何に健康寿命が保てるかが大きな課題となるのは言を待たない。

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                  | - | 11:16 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                  皆と同じに嫌悪感はないの?
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                    ヒラリー氏

                         

                    日本はお正月に3日間も休めるのに、その直後には成人の日が控えており、またまた連休となる。国民休日数の極めて少ないカナダから見ると何とも羨ましい話である。

                     

                    その成人式だが、今年は和服レンタルの会社『はれのひ』とやらが、客の前金をドロンして雲隠れし大きなニュースになった。そのため今や成人式の制服と化している振袖を着ることが出来なかった女性が続出し、泣く泣く式への出席を取りやめた人もいたと言う。

                     

                    被害は4500万円にも上るそうだが、この日の晴れ姿の為には2年も前から予約を入れて60万円も払い込んでいた人もいたとか。

                     

                    もちろんその悪質な業者は徹底的に捜査されるべきだが、それより何より、出席する20歳の女性たちの「右にならえ」という姿勢に、毎年のことながら私は何とも居心地の悪い思いを味わうのである。

                     

                     

                    学校の制服ではあるまいし、何故あの人もこの人も同じようにド派手な振袖を着て、白い襟巻を掛けなければならないのか。「皆と同じ」ということに居心地の悪さを感じないそのメンタリティーに私は心底驚くのである。

                     

                    加えて記念撮影となると、男性も女性もカメラに向けて一斉に作る「Vサイン」。「おお、止めて!」と思わず叫びたくなる光景である。

                     

                     

                    ところで一体何時頃から「成人式=和服の晴れ着」という習慣が定着したのか。調べて見ると、第二次大戦中にぜいたく品が禁じられ、風前の灯と化した着物業界を立て直す策として、昭和30年代に成人式という行事に目を向けたのがきっかけだという。

                     

                     

                    どうりで私が成人式を迎えたその30年代後半には、すでに着物を着て出席する女性が何人もいたのが頷ける。

                     

                    しかし私は自分が一番嫌悪する「皆と同じ」に我慢できなくて、その日の為にAラインの黒のワンピースにマント風のケープの付いた洋服をあつらえ、ハイヒールを履いて出席した。中には普通のスーツを着ていた女性が何人もいたのを覚えている。

                     

                    自分が大人の仲間入りをしたという気概のせいか式典は楽しく、エンターテインメントには、当時大変に人気のあった男性コーラスグループのデューク・エイセスが招かれ「おさななじみ」を歌ったのが忘れられない。

                     

                    しかしきっと日本は、今年の教訓など何処吹く風で、来年もまた娘は「着たい」親は「着せたい」の結果「晴れ着の制服」と「Vサイン」が当日のニュースを席巻することだろう。

                     

                    とは言え、ほんの小さな動きながら、幾つかの市町村では成人式の開催月を夏に変更したところもあると聞く。理由は、軽装での参加を呼び掛けても出席者が年々派手になるのを受けて、経済的な理由から「着られない人に配慮した」ためという。

                     

                    ポッと明かりが灯った感のあるニュースだが、日本の没個性の社会風潮をこうでもしなければ規制出来ないのは何とも情けない。

                     

                    しかしそれが我が祖国日本なのだ。
                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                    | - | 13:25 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                    旅先での支出
                    0

                      ヒラリー氏  

                       

                       3年半前に、私がトロントからビクトリアに国内移住を決めた一番の理由は、「訪日するのに楽だから」というものだった。

                       

                       当然ここが島であることは知っていたが、何と言っても太平洋の向こうは日本。ならば、飛行時間が大幅に短縮する筈と思い込んでいたのだ。

                       

                       しかし、である。周知の通りここからの訪日には、まずバンクーバーに行かなければならず、そこから日本へ飛ぶには最低2時間は待ち時間を取られる。

                       

                       加えてごく一般庶民である私は、時にシアトルから飛ぶ安い便があるとなれば、それを利用するということもあり得る。

                       と言うことは、トロントから直行便で飛ぶのと大した時間の短縮にはならない。むしろ「乗ったら日本なんて方が良かったかも・・・」と、お得意の“ない物ねだり”の思考が頭をよぎる。

                       

                       訪日前には早い内から買い物リストを作り、思いつた時に書き込む人は多いようだが、私もその一人。そして日本では、外出するたびに買った物にX印を付けていく

                       

                       従ってカナダに戻る頃にはスーツケースは満満杯。閉めるには蓋の上に腰かけて、オセンベイが粉々にならないことを祈りつつ最後の力を振り絞るのである。

                       

                       一体何をそんなに買うかと言えば、あれば便利な日常雑貨類が多く、その他は食べ物が大半を占める。「ここだって似たものは買えるのに・・・」と思うものの、旅に出るとつい気が大きくなってしまう。

                       

                       かてて加えて日本にいる間には「あれも、これも食べた〜い!」ということで、帰国時には優に1キロは増えているのが常である。

                       

                       となると、カナダで欧米人向けのを買うのと違い、足の丈を短くせずに済むズボンを大枚はたいて買ったのに、帰宅してはいて見ると胴回りがきつい。「おや、おや・・・」とため息が出るが、すでに大きくなってしまった胃の腑はそう簡単に縮まる筈もない。

                       

                       にもかかわらず、である。買って来た「日本の味」が無くなるまでは“ダイエット”という言葉が脳裏を右往左往しながらも、日本の思い出を反芻しながら食べ続けてしまう。

                       

                       ・・・そして時が過ぎ日が過ぎ、その故郷の味が「無」になる頃、私の中の「日本」もまた日々薄れていくのである。

                       

                       さてそれでは“おもてなしの国日本”が大好きな外国人たちは、日本ではどんな物にお金を使うのだろうか。最近発表された観光庁の「訪日外国人消費動向調査」によると、今まで一位だった中国を抜いてベトナムが首位になり一人当たり12万円という。

                       

                       

                       羽田空港の五大人気お土産リストは、SK-供∋饑呼欧離好ンケア、「白い恋人」、ロイズの「生チョコレート」、東京ばな奈の「見ぃつけたつ」なのだそうだ。2020の東京五輪・パラリンピックに向けて各業者はすでに新開発の商品にしのぎを削っている。

                       

                       

                       それは取りも直さず、里帰りをする我々に取っても目新しく楽しい物が見付けられるチャンスでもあるから、これからの訪日は益々楽しみなことである。

                       

                       しかし人にお土産を買うのはとても難しい。無難に万人向けのチョコレートなどを買っても、たまたまその人が類まれなチョコレート嫌いだったりしたら目も当てられない。相手の嗜好をよく知らないと大失敗をすることもある。

                       

                       反面、今夏私用でコスタ・リカに行った折りに乗り継ぎのメキシコ国際空港で、ふと買ったTAJINと言うピリ辛のフリカケがえらく美味しいのに驚いた。

                       

                       新鮮な果物に掛けてさえも一味違うのだ。友人にあげたり、また自分も残り少なくなった赤い粉を楽しみつつ「もっと買ってくればよかった・・・」と悔やんでいる。(でも秘かに思うに、これってMSG一杯のフリカケじゃないのかな?まっ、いいか、もうほとんど使っちゃったもんね〜!友達にあげたのはほんの10gの瓶だしね〜

                      ・・・)

                       

                       

                       

                       

                       

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