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寄稿文 カナダ - 日本

ティーンエイジャーとマリファナ
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    先月の420日(金)は、「マリファナ・デー」であった。ビクトリアは毎年この日に市庁舎の前に愛好家たちが集まる。

     

     

    今年は薄曇りで肌寒い雨模様の日であったにもかかわらず、例年通り若者を中心に多くの人々が日付けと同じ4:20pmを待ち気勢をあげた。

     

    二年前のこの日は、若者たちが多いに怒っていた。

     

    と言うのも、2015年秋にジャスティン・トルドー氏が首相になった時、多くの若者からの支持を得た理由の一つは「マリファナの規制を無くす」旨の公約を掲げたからだった。しかしその時までは際立った動きがないことで「約束が違う!」と愛好家たちが不満をぶちまけていたのだ。

     

    だが今年は、予定されていた2月頃の立法化(C45)は見送られたものの、8月には「(タバコと同様)レクリエーショナル・マリファナ」が解禁されることが最近明らかになったため、大喜びであた。

     

    市庁舎前はどこも若者で一杯

     

    筆者はこの日、市庁舎前の広場に行き若者たちの円座に入って彼らの想いを取材した。

     

    *まだ公に解禁ではないのに、こうした公共の場で喫煙は許されるの?

    「何も問題はないよ。だって後は時間の問題だろ。特に今日はお祭りの日だし、ポリスはいるけど何も言われないよ。きっと彼等だって吸っているんじゃない」と言い、どっと仲間たちが和し「もちろんさ!」「絶対だよ」と言う。

     

    *君たちが吸い出したのは何歳くらいだった?

    7歳」「14歳」「16歳」・・・

     

    *何がきっかけだったの?

    「僕はバイクで大怪我をして入院したけど、どんな痛み止めの薬も効かなくてマリファナに行き当たったんだ」「親も吸っているのが分かって、それなら自分もと思った」「いろんな嫌なことが重なってエスケープするために始めた」

     

    *喫えばハイになるって言うけど君たちはどんな気持ちになるの?

    「とてもリラックスしてすごくいい気持ちになるんだ。嫌なことが忘れられる」

     

    *一ヶ月どの位のお金を使うの?どうやって賄っているの?

    1000ドル位かな。僕の場合は親のペットショップのビジネスを一緒にしているからお金には困らない」「ほとんどの友達は学校に行きながら余暇にいろんな仕事をしているからね」

     

    *車を運転する前に喫ってはいけないっていうけど、それは守っているの?

    「うん、それはしないね。ハイになると危ないからね」

     

    *若い人が吸うことに対して皆はどう思うの?

    「やはり余り若いと成長する途中の脳に影響があるから勧められないね」「僕は10歳前から吸っているけど問題ないよ」

     

    *タバコと同じで19歳からと法律で決まることになるけど、それには意味があるわけね?

    「まあ、一応ね。でも個人差があるからね」

     

    *これからもずっと吸うことになるわけね。辞めることは考えないの?

    「今は全然!もちろん、将来のことは分からないけどね」

     

    *学校では生徒全員が吸っているの?

    「そんなことはないよ。吸わない子は吸わないし、体質的に喫えない子もいるしね」

     

    *でも集まってパーティーなんかする時、吸わないと仲間に入れないんじゃない?

    「うん、居心地は悪いだろうね」

     

    一見のみではわからないものの、話せば皆元気で素直な将来のある若者たちである。

     

    若者の許可を得て筆者が撮影

     

    まだ医学的に見てマリファナには一切害がないと言う結果は出ていないと聞く。身体的、経済的に足元をすくわれることのないようにとの思いが、単に老婆心であって欲しいと願わずにいられない。

     

    この夏に公約通りリクリエーションナル・マリファナに「Go」が出ても規制はいろいろと儲けられる。

     

    例としては職場、公園、遊園地、バス・電車の停留所、ドア・窓・空調設備から7m以内は禁煙。年齢はタバコ同様に19歳以下はご法度である。

     

    値段は今のところ平均1グラム/$10.00Cadと言われるが、質の良し悪し、種類などによって異なり、また州・準州によっても相違がある。

     

    1989年の長野冬季オリンピックからゲームに加えられたスノーボードで、バンクーバー出身のロス・バグリアディが金賞を獲得。

     

    だが尿検査でマリファナが検出されたため金は一時的に剥奪された。彼の言い分は「壮行会で周りが吸っていたため、それが体内に残っていた」であった。

     

    日本では、オリンピックはもとより、非常に厳しい取り締まりがあることを肝に銘じたい。

     

     

     

     

     

    | - | 07:50 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    青函トンネル30周年
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      先日日本からのニュースで青函連絡露ンネルが開通して3月7日で30年になる事を知った。

       

       

      周知の通りこれは、本州と北海道を結ぶ海底トンネルである。荒波で有名な津軽海峡の海の底を通過するのだが、二年前の2016年3月からは新北海道新幹線も通るようになった。

       

       

      文字通り二つの陸地を結ぶ大動脈であるが、今はその老朽化も進み多くの課題があるという。しかしそれでも改善に挑みながら、人やモノを日々運び続けていると言う。

       

      このニュースを読みすぐに思い出したのは、もう10余年前に一人旅で竜飛岬まで行き、本州最北端の地に立った時に見た波の荒さだった。

       

      それは聞きしに勝るもので、ともすると強風で体が揺らぎ、何かにつかまらなければ吹き飛ばされそうになる。

       

      そんな場所に出かけたのは、長い事寄稿している青森のタウン誌に挨拶に行った帰りで、季節は冬を迎える直前の11月初旬であった。私が訪れた日を最後に翌年の4月中頃まですべての観光施設が閉じられると聞かされた。

       

      地下にある青函トンネルミュージアムにも脚を延ばしたが、文字通り観光客は私一人。それでもケーブルカーを動かしてくれ、礼儀正しいちょっと青森訛りのある案内嬢が一人付いて、丁寧に説明してくれるのをじっくりと聞いた。

       

      トンネルの構想から完成までは24年間を費やしたという。その間の出来事を立体モデルで再現し映像や音も交え展示されており、工事がどれ程難航を極めたかを目の前に見ることが出来るのだ。実際掘削に使われた器械,機械類も置かれており当時を忍ぶことが出来る。

       

      たった一人の観光客のために、余り時間を取らせるのは悪いとは思ったのだが、展示を見ながら進む内に私は何か胸にこみ上げるものがあるのを押さえることが出来なかった。

       

      「人間ってこんな難題にも果敢に取り組み、完成させてしまうのか!」と思ったら自然と涙が溢れてしまったのだ。

       

      私は自分の想像を超える凄い創造物を見ると、すぐに感動する癖がある。例えばパリのノートルダム寺院、スペインのサグラダファミリア、ヨーロッパや日本で訪れた数々のお城・・・。

       

      それらの建設に伴って犠牲になった人々を思うと涙を抑えることが出来ないのだ。

       

      もちろん青函トンネルもその一つ。

       

       

      案内嬢が訝しげにチラチラと顔を見ているのに気づき、心の内を説明すると「沢山の観光客の方が来られますが、お客さんの様に感動する人は余りいません」と言われてしまった。

       

      当地を訪れる人の中には、断崖から飛び降りて自殺をする目的の人もいるとかで、私の涙は何か問題があって悲しみを抑えているのかと思われようだ。女の一人旅となればそう思われたのも無理からぬ事と、後から一人苦笑してしまった。

       

      折も折りトンネル完成から30年というニュースを聞いた直後に、何ともタイミングよく「海峡」という映画を見ることが出来た。もちろん映画となればある程度の虚飾はあるだろうが、改めて諸々の詳細を知った。

       

      地質調査の開始は1946年であったものの、最初は誰も信じなかったトンネル工事を実際に開始させる大きなきっかけは、1954年に起きた青函連絡船・洞爺丸が台風で転覆し、貨物船を含め1430人が犠牲になった事故だったと言う。10年後の1964年に着工したのである。

       

      それにしても、帰りにバスでJR津軽線三厩駅まで戻り、駅前の店で買った小粒の乾燥ホタテのスナックは今でも味が忘れられない。カナダに戻ってからその感激度をお伝えしたくて 製造元にお礼の手紙を送ってしまった。

       

      その味は私にとって「想像を超える凄い創造物」であったからだ。(爆笑)

       

       

       

       

       

      | - | 02:49 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      二人三脚
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        聞くところによると、「二人三脚」という競技は今でも日本の学校の運動会でのハイライトの一つと言う。これは2人一組になり隣同士の足首を紐で結んで駆ける競争で、肩を組み「イチニ、イチニ」と呼吸を合わせて走るのがコツ。息が合わなければ必ずこける。

         

         

        それをもじって一般社会では、良き仲間同士の仕事振りや、はたまた仲良しの夫婦を指す慣用句になっている。もちろんポジティブな意味合いで使われるが、特に夫婦の場合は好もしい関係として受け取られる。

         

        「気候が温暖」という最大の理由で、リタイア後に西海岸に引っ越してくるシニアたちを見るとこういうカップルは多く、何処に行くにも何をするのも一緒。散歩や日常の買い物はもとより、観劇、旅行、パーティー、挙句はエキササイズのクラスまでいつも同伴なのだ。

         

        まるで「つがいの鳥」のように、一人を見かければ必ずお相手が近くにいる。武者小路実篤の名言通り「仲良きことは美しきかな」を地で行っているのだ。

         

         

        しかしどんなに仲睦まじくでも必ず一緒に死ぬとは限らない。多くの場合女性が残される。となると夫が亡くなった後の数年は、女性が一人で生きなければならない。

         

        しかし良く聞く例は、一時は奈落の底に落とされた感があっても、時間が経てば生き生きとして独り身を謳歌する女性は多いとか。その場合は、女性に最低限の経済力がある事、また趣味や社会活動などで時間を分かち合う仲間がいる事が大きいようだ。

         

        最近英国からのニュースで話題になったのが、Minister for Loneliness(孤独問題担当国務大臣)という役職が選出されたことである。同国では高齢者に限らず、一ヶ月以上親戚や友人などと一言も会話をしない人が何と20万人もいる事が分かったそうだ。

         

        だがこれは英国だけの問題ではなく、ビクトリアでもいかにも寂しそうな風体でトボトボ歩く老人を見かけることは珍しくない。服はヨレヨレ、頭はボサボサ、すれ違うと体臭がして日常生活が容易にしのばれる。殻に閉じこもる蓑虫に例え、ここでは彼らをコクーン症候群と呼ぶ。

         

        ところでよく話題になる「世界で一番の長寿国は何処か?」という問いには、調査機関などによって異なるため信憑性が定かでないことがある。時にはアンドラ公国(スペインとフランスの国境)が出て来たり、漢方ドリンクが普及している為に香港が一位だと言う説もあったりする。


        その中で一番信じられるのはWHO(世界保健機構)ではないかと思うが、最新(2016年)の統計では、予想にたがわず日本(83.7)が一位でスイス(83.4)シンガポール(83.1)と続く。カナダは12位(82.2)で100歳以上は8230人いる。

         

        人口が異なるため単に数で比較は出来ないものの、日本には6万7千人いて年々増加傾向にある。政府はこれを受け国を挙げて「人生100年」を謳っており、まだ現役の人がよく話題になる。

         

        そんなcentenarianが書いた著書も何冊かあり、美術家篠田桃紅(とうこう)さんの『103歳になってわかったこと』(幻冬舎)、女性写真家笹本恒子さんの『好奇心ガール、今101歳』(小学館文庫)などが良く売れているとかで、今流に言うとアラハン(Around100)本というのだそうだ。

         

        某調査では2007年生まれの子供は、その50%までが100歳前後まで生きるとの計算があるとか。長生きは世界的傾向となれば、如何に健康寿命が保てるかが大きな課題となるのは言を待たない。

         

         

         

         

         

         

         

        | - | 11:16 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        皆と同じに嫌悪感はないの?
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          ヒラリー氏

               

          日本はお正月に3日間も休めるのに、その直後には成人の日が控えており、またまた連休となる。国民休日数の極めて少ないカナダから見ると何とも羨ましい話である。

           

          その成人式だが、今年は和服レンタルの会社『はれのひ』とやらが、客の前金をドロンして雲隠れし大きなニュースになった。そのため今や成人式の制服と化している振袖を着ることが出来なかった女性が続出し、泣く泣く式への出席を取りやめた人もいたと言う。

           

          被害は4500万円にも上るそうだが、この日の晴れ姿の為には2年も前から予約を入れて60万円も払い込んでいた人もいたとか。

           

          もちろんその悪質な業者は徹底的に捜査されるべきだが、それより何より、出席する20歳の女性たちの「右にならえ」という姿勢に、毎年のことながら私は何とも居心地の悪い思いを味わうのである。

           

           

          学校の制服ではあるまいし、何故あの人もこの人も同じようにド派手な振袖を着て、白い襟巻を掛けなければならないのか。「皆と同じ」ということに居心地の悪さを感じないそのメンタリティーに私は心底驚くのである。

           

          加えて記念撮影となると、男性も女性もカメラに向けて一斉に作る「Vサイン」。「おお、止めて!」と思わず叫びたくなる光景である。

           

           

          ところで一体何時頃から「成人式=和服の晴れ着」という習慣が定着したのか。調べて見ると、第二次大戦中にぜいたく品が禁じられ、風前の灯と化した着物業界を立て直す策として、昭和30年代に成人式という行事に目を向けたのがきっかけだという。

           

           

          どうりで私が成人式を迎えたその30年代後半には、すでに着物を着て出席する女性が何人もいたのが頷ける。

           

          しかし私は自分が一番嫌悪する「皆と同じ」に我慢できなくて、その日の為にAラインの黒のワンピースにマント風のケープの付いた洋服をあつらえ、ハイヒールを履いて出席した。中には普通のスーツを着ていた女性が何人もいたのを覚えている。

           

          自分が大人の仲間入りをしたという気概のせいか式典は楽しく、エンターテインメントには、当時大変に人気のあった男性コーラスグループのデューク・エイセスが招かれ「おさななじみ」を歌ったのが忘れられない。

           

          しかしきっと日本は、今年の教訓など何処吹く風で、来年もまた娘は「着たい」親は「着せたい」の結果「晴れ着の制服」と「Vサイン」が当日のニュースを席巻することだろう。

           

          とは言え、ほんの小さな動きながら、幾つかの市町村では成人式の開催月を夏に変更したところもあると聞く。理由は、軽装での参加を呼び掛けても出席者が年々派手になるのを受けて、経済的な理由から「着られない人に配慮した」ためという。

           

          ポッと明かりが灯った感のあるニュースだが、日本の没個性の社会風潮をこうでもしなければ規制出来ないのは何とも情けない。

           

          しかしそれが我が祖国日本なのだ。
           

           

           

           

           

           

           

          | - | 13:25 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          旅先での支出
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            ヒラリー氏  

             

             3年半前に、私がトロントからビクトリアに国内移住を決めた一番の理由は、「訪日するのに楽だから」というものだった。

             

             当然ここが島であることは知っていたが、何と言っても太平洋の向こうは日本。ならば、飛行時間が大幅に短縮する筈と思い込んでいたのだ。

             

             しかし、である。周知の通りここからの訪日には、まずバンクーバーに行かなければならず、そこから日本へ飛ぶには最低2時間は待ち時間を取られる。

             

             加えてごく一般庶民である私は、時にシアトルから飛ぶ安い便があるとなれば、それを利用するということもあり得る。

             と言うことは、トロントから直行便で飛ぶのと大した時間の短縮にはならない。むしろ「乗ったら日本なんて方が良かったかも・・・」と、お得意の“ない物ねだり”の思考が頭をよぎる。

             

             訪日前には早い内から買い物リストを作り、思いつた時に書き込む人は多いようだが、私もその一人。そして日本では、外出するたびに買った物にX印を付けていく

             

             従ってカナダに戻る頃にはスーツケースは満満杯。閉めるには蓋の上に腰かけて、オセンベイが粉々にならないことを祈りつつ最後の力を振り絞るのである。

             

             一体何をそんなに買うかと言えば、あれば便利な日常雑貨類が多く、その他は食べ物が大半を占める。「ここだって似たものは買えるのに・・・」と思うものの、旅に出るとつい気が大きくなってしまう。

             

             かてて加えて日本にいる間には「あれも、これも食べた〜い!」ということで、帰国時には優に1キロは増えているのが常である。

             

             となると、カナダで欧米人向けのを買うのと違い、足の丈を短くせずに済むズボンを大枚はたいて買ったのに、帰宅してはいて見ると胴回りがきつい。「おや、おや・・・」とため息が出るが、すでに大きくなってしまった胃の腑はそう簡単に縮まる筈もない。

             

             にもかかわらず、である。買って来た「日本の味」が無くなるまでは“ダイエット”という言葉が脳裏を右往左往しながらも、日本の思い出を反芻しながら食べ続けてしまう。

             

             ・・・そして時が過ぎ日が過ぎ、その故郷の味が「無」になる頃、私の中の「日本」もまた日々薄れていくのである。

             

             さてそれでは“おもてなしの国日本”が大好きな外国人たちは、日本ではどんな物にお金を使うのだろうか。最近発表された観光庁の「訪日外国人消費動向調査」によると、今まで一位だった中国を抜いてベトナムが首位になり一人当たり12万円という。

             

             

             羽田空港の五大人気お土産リストは、SK-供∋饑呼欧離好ンケア、「白い恋人」、ロイズの「生チョコレート」、東京ばな奈の「見ぃつけたつ」なのだそうだ。2020の東京五輪・パラリンピックに向けて各業者はすでに新開発の商品にしのぎを削っている。

             

             

             それは取りも直さず、里帰りをする我々に取っても目新しく楽しい物が見付けられるチャンスでもあるから、これからの訪日は益々楽しみなことである。

             

             しかし人にお土産を買うのはとても難しい。無難に万人向けのチョコレートなどを買っても、たまたまその人が類まれなチョコレート嫌いだったりしたら目も当てられない。相手の嗜好をよく知らないと大失敗をすることもある。

             

             反面、今夏私用でコスタ・リカに行った折りに乗り継ぎのメキシコ国際空港で、ふと買ったTAJINと言うピリ辛のフリカケがえらく美味しいのに驚いた。

             

             新鮮な果物に掛けてさえも一味違うのだ。友人にあげたり、また自分も残り少なくなった赤い粉を楽しみつつ「もっと買ってくればよかった・・・」と悔やんでいる。(でも秘かに思うに、これってMSG一杯のフリカケじゃないのかな?まっ、いいか、もうほとんど使っちゃったもんね〜!友達にあげたのはほんの10gの瓶だしね〜

            ・・・)

             

             

             

             

             

            | - | 12:47 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            和暦と西洋歴
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              ヒラリー氏

               

               

               今月20日、日本政府は天皇陛下の退位日を2019331日とし、翌日の41日に現皇太子が新天皇に即位すると発表した。これによって「平成」は313月末日で幕引をすることになる。 

               

               平均寿命が男女とも香港に次いで世界第二位と言う日本には“明治、大正、昭和、平成”と生き抜いた人もまだ何人かいるし、最高齢は117歳(明治33年生)という。もしその方が後一年半頑張れば何と(!)5代の天皇を知ることになるわけだ。

               

               このように天皇が変わるごとに新たな和暦に代わるのは「日本らしくていい」と言う人もいるものの、外国住まいだと真に面倒と感じる人は少なくない。すでにご存知の方も多いが、一応換算法は以下の様になるので記しておこう。

               

              西暦から平成に変換:西暦に「12」を足す→「2017122029」下二桁を取り平成29

              平成から西暦に変換:平成から「12」を引く→「291220002017

                        平成2年は「21220001990

               

               1989年に「平成」と言う年号になった時、私は日本経済新聞のトロント支局で仕事をしていた。当時はまだ一番早い通信手段はFAXで、受信ごとに器械が「タッタ、タッタ」という特有の音を立てながら、設置された紙に内容が印刷されて受信者の手元に届いた。

               

               枚数が多ければどんどん床に落ちるため、長い文章の場合#を付けることを忘れないことが大事だった。新聞社であるから長文の原稿を送受信することも多く、これを怠れば相手に大変迷惑を掛けることになる。

               

               今でも忘れないのは、1989年(S6417日に当時の内閣官房長官小渕恵三がこの新元号を発表するや、FAXが東京本社から送られて来た。トロントは夜中だったため、朝オフィスに行くと前夜届いた「平成」と書かれた紙と号外の新聞の縮少版が器械の上に乗っていた。

               

              小渕恵三氏の若いこと!

               

               もちろん当時も、電話によって情報を素早くキャッチすることは可能であったが、今の様に一般の人々が世界を駆け巡るニュースを瞬時に得られる時代ではなかった。その日はトロント在住の日本人からの問い合わせが殺到し、支局は対応に追われたのが懐かしく思い出される。

               

               来春にも決定される可能性があるという新元号は、どんなものになるのか今から予測は出来ないが、端末さえあれば今はどんな人も発表と同時に知ることが出来る。

               

               たかだか30年という時代の流れなのだが、この間に情報手段の世界がどれ程変わったかを振り返ると、驚きと共に圧倒される思いを禁じ得ない。次期天皇陛下から、またその次の天皇になる頃世の中はどのように変化しているのだろうか・・・。

               

               

               

               

               

               

               

               

              | - | 06:19 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              二年余りの歳月を掛け翻訳本「希望の国カナダへ・・・、夢に懸け海を渡った移民たち」完成
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                ヒラリー氏 

                 

                 とうとうここまで来たかとの思いで一杯である。

                 

                 構想から出版まで二年余りの歳月を掛けたAnn-Lee /Gordon Switzer夫妻の日系史「Gateway to Promise」の日本語訳「希望の国カナダへ・・・、夢に懸け海を渡った移民たち」が完成し、8月末に発売する段取りが整ったことをここに報告したいと思う。

                 

                 「二年余り」と一口に言うのはた易いが、まずは16人の翻訳者を募ることから始まり、そのグループの人々と絶え間ない連絡を取りながら細部に渡って統一を図る作業、460頁にもなる邦訳の一行一行に何度も何度も目を通すプルーフリーディング、加えて本作りには欠かせない資金の調達・・・等など。

                 

                 どれも決して手の抜けない一連の作業に多くの方々が係わり、ご協力下さったことは本当に嬉しく感謝の気持ちで一杯である。そして今私は、自分の両肩から重い重い荷物を下ろしたような安堵感を覚え体の力が抜けるのを実感している。

                 

                 一つの物を共同で作り上げるのは、終わってみれば何よりも大いなる達成感はある。しかしこのプロジェクトで一番大変だったことは、言語の流れを統一することは勿論のこと、原作者Switzer夫妻のAdobeに日本語の原稿を入れ込んだ後にやらなければならなかった一字一字のチェック作業であった。

                 

                 たった一文字の日本語を加えたり削除したことで、ページ全体がとんでもない大変身を起こしてしまったことが何度あった事だろう!とてつもない忍耐を強いられながら、入力作業を繰り返す努力を重ねながらも、なお技術的に無理なことで見過ごさなければならないカ所が幾つもあったことを思うと今でも残念でならない。

                 

                 しかし「やるだけのことはやった」という意味で悔いはない。

                 

                 また私が何よりもラッキーだったのは、この細部に渡る神経戦の作業に常にイニシャティブを取り、右腕として付き添ってくれたヒル厚子さんという友人がいたことであった。校正作業に精通し、ずば抜けた洞察力と英語力を持って去年の11月から今年の夏までの八か月間、実に辛抱強くボランティアとしてお付き合い下さった。

                 

                 中でも訳者の翻訳自体に間違いではないものの、選択した日本語にちょっと違和感を感じるようなカ所がある時、二人が同時に「ウッ?!」との感覚を持てた事は興味深いことであった。

                 

                 そしてプロジェクトも終末に近づいた先月末には、大きな「オチ」までついて校正作業は終了した。それは厚子さんと二人で最後の最後の校正作業をしていた時に、我が家には思わぬ出来事が勃発したのだ。

                 

                 それはよく晴れた気持ちの良い午後であったが、散歩に出た夫が道すがらでハートアタックを起こし病院に担ぎ込まれたのである。一刻を争う状況だったのをRoyal  Jubilee Hospitalの救助隊の人々、病院のスタッフ、心臓外科医たちの見事な連携でプレーで一命を取り止めた。

                 

                 今は自宅療養になり一応落ち着いていることに安堵しているが、本人に何の予兆もなく起こったことを思うと気が抜けず不安は拭えない。

                 

                 加えて私自身も春に大変な腰痛を発症し、未だに爆弾を抱えるような状態の日々であることを思うと、言い古されたことではあるが「Everyday is a gift」の言葉をしみじみと噛みしめる。

                 

                 9月に入ると、トロントの日系文化会館(The Japanese Canadian Culture Centre)で二回(9月6日、9日)に渡って出版記念会が開催される予定である。このイベントを皮切りに今後はしばらく宣伝活動に時間が取られることだろう。

                 

                 読者の皆さんも周辺の方たちに是非ともお知らせ頂き、当地から始まったカナダ日系移民史に触れ、深く味わって頂くことをお勧め下さるよう切望している。

                 

                 8月末から販売が可能なため、購入ご希望の方は以下にご連絡頂きたい。

                k-m-s@post.com

                 

                一冊$29.95CAD(含Tax /送料別(日本への送付も可能)

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

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                国際結婚、そして二重国籍
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                  ヒラリー氏

                   

                   

                   自著「日本人の国際結婚〜カナダからの報告〜」(彩流社)を、私が書き終えたのは20105月であった。題名が示すように、これは国際結婚をしてカナダに住む日本人何人かにネットで調査を行い、電話インタビューなどもした結果をまとめたものである。

                   

                    考えてみるとすでに7年も前のことになる。となると当時は綿密に調べ上げたものの、今から見ると調査数字などは710年も前のもということになる。

                   

                   

                   その時すでに、日本国内でも「国際結婚」などはもう何も珍しい現象ではなかったし、年ごとに更に増大するであろうことは誰もが予測していた。

                   

                   では法的な面で当時と一番変わったのは何か。それは20144月から日本もハーグ条約批准国の一員になり、効力を発揮し始めたことだろう。

                   

                   今では広く知られているように、国際結婚をして子供がいる場合、一方の親がもう一方の親の同意を得ることなく、子供を自国へ連れ去る事件から子供を守るための国際ルールである。1980年にオランダのハーグで制定された条約だが、日本は長い間これに加盟せず、そのため子供の親権のことで多くの問題が生じていた。

                   

                   もし子供が親の都合で、それまで住んでいた場所から急に他国に連れて行かれれば、慣れ親しんだ環境や言語から切り離され、新たな場所で大変な適応を迫られる。こうした生活の急変は子供に悪影響を与えることが多いため、元の居住国に戻すことを原則としているのである。

                   

                   私は拙著の調査中に、カナダ/日本間で生じたケースの親たちに話を聞く機会を持ったが、誰もが異口同音に日本の法整備の遅れを嘆いていた。しかしこの春で法の適用から3年になり、外務省の最近のまとめによると「日本から外国に」「外国から日本に」向けた返還申請のうち、実現されたのは30%程という。それぞれのケースによって必ずしも返還しなければならないとは限らず、例外規定もあるようで興味深い。

                   

                   また一方この数年間に全く変化は生じず、ロビー活動は行われているとが聞くが、変化の兆しが一向に見えないのが「二重国籍」の問題である。日本の国籍法では外国籍を同時に持つ者は、22歳までにそのどちらかを選択しなければならない。

                   

                   欧州では出生などで得た外国籍の保持を認める条約が97年に採択されており、7カ国で承認していないのは日本だけと聞く。日本政府は、重国籍が原因で起こる具体的な弊害はないと認めているにも拘わらず、未だに何の動きもない。

                   

                   そんな中最近起こったのが、7月18日の民進党党首蓮舫氏の「戸籍開示」問題である。昨年からゴタゴタと続いている台湾との二重国籍問題に区切りを付けたいとの意図で「公党の代表」として説明する責任を感じたからという。極めてプライベートな情報の開示は、「自分の場合は特例」なので、悪しき前例にならないことを望むと強調した。

                   

                  27日付けで民進党党首を辞任した蓮舫議員

                   

                   これで思い出されるのはハワイ生まれにも拘らずアフリカ系のルーツを持つオバマ前大統領に対し、オバマ氏が執拗に迫った出生証明書の開示問題である。もちろんカナダでも国会議員などの公人は、カナダ国籍を持っていることは当然だが、重国籍を認めるお国柄。一つの国籍しか保持出来ないということは聞いていない。

                   

                   

                   日本はこれから益々少子高齢化が進すみ、若い働き手を外国から確保しなければならないのは火を見るより明らかである。いつまでも同じ轍の上をグルグル回って議論ばかりしていないで、カナダのように、多様な社会の構築に勇気ある一歩を踏み出してはどうか。

                   

                   

                   

                   

                   

                  | - | 07:25 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                  ビクトリアの墓地に眠る・・・あの坂本龍馬の隠し子が!?
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                    ヒラリー氏

                     

                     今回は「歴史とはかくも興味深いものだ」と言う一つのお話である。

                     

                     日本で教育を受けた者なら、歴史の時間に必ず聞かされた「坂本龍馬」という名前を知らない人はいないだろう。どんなことをした人かを一言でいえば「江戸幕府を倒すきっかけを作った人」と言える。

                     

                    坂本龍馬の現存写真

                     

                     1850年代前後の幕府は、全国の諸藩をまとめる力が弱くなっており、重ねて帝国主義に入った列強な欧米の進出で諸外国が通商を求めるのを拒絶する力もなくなっていた。次第にこのような幕府では日本を守れないと考え、倒幕し天皇の元に統一した国家を作ろうと考える人が現れたのだが、その一人が龍馬だったのである。

                     

                     1835年に高知で生まれ一生を倒幕のために奔走し、33歳の若さで暗殺されたとなれば、その波乱万丈の生涯に今でも思いを馳せる人が多いのは頷ける。まして後にその激動の時代に大活躍した彼に隠し子がいて、その子がビクトリアで亡くなりエスクァイマルトの墓地に埋葬されているとなれば、カナダ住まいの我々には耳をそば立てずにはおれない話である。

                     

                     読者の中にはバンクーバー新報(http://www.v-shinpo.com/special/3782-special170615)を読まれている方も多いかと思うが、616日発行のメルマガの一面はこの記事で飾られていた。驚くことにバンクーバーには「カナダ龍馬会」というのがあり、会長はそのバンクバー新報の社主である高知県出身の津田佐江子氏とのこと。

                     

                     この話が何故流布されたかと言うと、1981年に発行された「草野家家系史明暗記録‐生命の中に現存する先祖」(草野重松著)という資料に、著者の父・草野貞重が1869年に一歳の男の児(春馬)を連れた遊女(おさだ)を身請けしたことが著されており、加えて著者がその姉(貞重の娘)から聞いた話として、おさだが『自分の連れて来た子は坂本龍馬の子だ』と述懐したと紹介されているというのだ。

                     

                     現時点ではこれだけの資料しかないわけで、当然ながら史実の当否は定かでない。だが長崎では、当時この春馬という男の子が龍馬の子であることは良く知られていた事実であったとか。まだ龍馬がそれほど世間に知られる前の話しであることから、売名行為ではなく信憑性があると見る向きが多いと言う。

                     

                     さてこれに絡む事柄として更に私の耳目を集めたのは、7月末に翻訳本の発行が予定されている西海岸を中心とした日系カナダ史「Gateway to Promise」(日本語仮題:希望の国カナダ・・・、夢に懸け、海を渡った移民たち)という本の中に、草野春馬の話が掲載されているためである。

                     

                    7月末に日本語版が上梓される予定

                    邦題は「希望の国カナダ・・・、夢に懸け海を渡った移民たち」

                     

                     私は16人の翻訳者を得て、構想から出版まで二年を掛けて創り上げつつある400余頁にも及ぶ翻訳本に、この若者の死を悼む話がでていることに何やら不思議な時空の一致を感じるのだ。

                     

                     中でも当時この若者の死を知った、ビクトリア在住の甲山きよさんという女性が絡む話しである。彼女はお産婆さんとして当市の日系社会では知らない人のいなかった存在であったが、異国で一人眠る若者を悼み月の命日には必ず墓参していた。

                     市内から往復3時間を掛け徒歩で10キロの道を通い、強制移動でビクトリアを離れるまでそれは続けられたという。実に胸を打たれる逸話である。

                     

                    草間春馬の墓

                     

                     

                     

                     本当に草野春馬氏が龍馬の子であるかどうかは、現今の最先端技術を屈指すれば容易に分かることなのかは知らない。だがその真実は実のところ知りたくもあり・・・、また一方、このままロマンを感じながらそっとしておきたい・・・気もするのだ。

                     

                    補修工事が行われているため鉄柵などが見える

                     

                    綺麗に整備された墓地の一角に草間春馬の墓はある

                     

                    お墓の入り口の目印

                     

                     何はともあれ、7月末に発売される予定のこの日系カナダ史の翻訳本は、読者の期待を裏切らない壮大な歴史書であることに間違いはない。

                     

                     発売の折りには一読下さることを切望している。

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                    | - | 12:23 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                    爽やかな人
                    0

                      ヒラリー氏

                       

                      5月27日(水)記

                       

                      「何と爽やかな人だろう!」と人は良く口にする。

                       

                      言われる方は決して悪い気はしないと思うが、やはりこれは若者に向けての誉め言葉に限られている。例え年齢よりすごく若く見える人でも、もし5060代になった中年のおじさん、おばさんには残念ながら使える言葉ではない。

                       

                       10日ほど前の日本のメディアにはこの誉め言葉が飛び交った。

                      言わずと知れた皇室の真子さまの婚約者になる男性、小室圭さんに向けての形容詞である。日本中が湧き立ち久々に明るいニュースとして受け取られた。その御年25歳の若者にメディアはこぞって「爽やか」とい言葉を口にした。

                       

                       

                       私もニュースを見ながら「う〜ん、確かに爽やだわね」と思いながらも、ふと「誰かに似ているな・・・?」と思いを巡らした。で、ピンと思い当たったのはあの七福神の一人である大黒様だった。

                       

                        ふっくらとした頬から顎にかけての柔らかい輪郭と、ちょっと丸めの鼻からそんな想像を掻き立てられのだ。まだ正式に婚約者として発表されたのではないためか、号外の出た翌日の初めての記者会見では、すべての質問に「今申し上げることはございませんので、時期が参りましたら・・・」の一点張り。

                       

                       きっと宮内庁辺りから「絶対に余計なことは言うな!」とクギを刺されたのだろうが、これからは「時の人」としてさぞや大変なことだろう。

                       

                       スクープを狙うメディアの競争が激しさを増すことは疑う余地がない。それによってトレードマークともなった「爽やかさ」を失うことのないよう願いたい。

                       

                       皇室関連のことで思い出すのは、10数年前に雅子妃が第一子の愛子さまを出産なさった時のことだ。

                       

                        まだ私はトロント住まいだったが、テレビ局CTVからこの慶事について語って欲しいとの連絡を受けた。私は快く引き受け、日本の親戚が「記念に」と言って送ってくれた《ご結婚記念特別号》と題した写真満載の大判の雑誌や関連の写真集を何冊か抱えて出かけた。 

                       

                       詳細はよく覚えていないのだが、ライトの一杯当たるスタジオに入る前に大きな鏡のある化粧部屋で、顔が光るを抑えるためにパウダーをしこたま塗られたのは鮮明に記憶している。

                       

                       インタビュアーは、さすがに日本の皇室のことを調べ上げていた。

                       

                        雅子妃の経歴を始め、最初のお子さんである愛子さまが生まれるまでに9年もの年月を待たなければならなかったこと、男子のみが天皇の位を継承する日本の皇室のあり方も良く知っていた。

                       

                       もちろんその時はまだ愛子さまが誕生したばかりの時で、雅子妃はその二年後辺りから発病した「適応障害」なる病気にはかかってはおられなかった。しかし、その後の矢継ぎ早の「お世継ぎ」コールが、精神的に追い詰められた原因だったであろうことは容易に想像できる。

                       

                       久しぶりに記念特別号のページを繰ってみると、赤、黄色、ブルー、ピンクなどのファッショナブルな装いに、スカーフなどを上手にあしらった結婚前の発しとした「大和田雅子さん」の「爽やか」な笑顔がページを埋めている。

                       

                       

                       今生天皇が退位する日も近く、皇太子が天皇になるのに伴い必然的に雅子妃は皇后になる。本来の明るさと元気を取り戻し「さすが雅子妃」と言える日が来ることを一女性として願わずにいられない。

                       

                       

                      後記:この記事をeマガジン「ビクトリア見聞録」の自分のコラムに書いたのは5月27日。それから3週間近い今(6月6日)、ネットに飛びかう関連のニュースの凄まじいこと!何ともお気の毒としか言いようがない。メディアに押しつぶされないことを願うばかりだ。

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

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