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寄稿文 カナダ - 日本

ビクトリア・ボンサイ(盆栽)・ソサエティ
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    ヒラリー氏

     

     

     今年の年初頭から私は「バンクーバー・アイランド・ボンサイ・ソサエティwww.victoriabonsai.bc.ca」の会員になった。まさかこのようなクラブに席を置くなどとは、以前には考えられないことだったため、今でさえ信じられない気がしてならないのである。

     

     数年前にトロントから当地に国内移住してすぐに、Art Gallery of Grater Victoriaを訪れた。入り口を入って真っすぐに伸びた廊下を進むと、裏庭に面した所に木枠で囲まれた一角があり、幾つかの盆栽が棚に置かれていた。それによってここにも盆栽を趣味とする人たちのクラブがある事を知った。

     

    galleryの裏庭にはこんな神社の模型も設置されている。寄贈された沢山のオリエンタル・アートの収集でも有名である。

     

     正直に言うと私の中の「盆栽」とは、仕事を退職したご隠居さん、つまりお年を召した主にお爺さんが時間を持て余して始める趣味・・・と言う印象しかなかったのだ。もちろん頭の中では、今や日本のみならず「BONSAI」は世界的に人気があり、コレクターも沢山いる事は知っていた。

     

     とは言え偏見であることは十分に知りながら、日本文化の中で生まれ育っていない人々が、盆栽に興味を持つなどは何か不自然に思えてならなかったのだ。

     

     そんな思いを持っていた私が、ではどうして今や月一回の例会に出るようになったかについては、それなりの理由があるのだ。

     

     私の夫は道を散策している時など、犬を連れている人や、幼な子の手を引く人々と気軽に言葉を交わし冗談を言って談笑する。そんなオープンな人柄だから、新開地に来ても容易に友人をつくれるものと思ったのだが、それが中々難しいのである。

     

     だが考えて見ればそれは当然のこと。普通友達作りというのは、それが何であれ同じ趣味などを持つ人たちと興味を分かち合い、何度も会う内に親しくなるものである。

     

     トロントにいた頃は軽飛行機の操縦を趣味にしていたため、それを納める格納庫さえも自分で建設したりして友達と呼べる仲間が何人もいた。

     

     ところが西海岸に移住するにあたり、幾つものエアポートで給油しつつ、湖や平原を眼下に見ながらロッキー山脈を越えて愛機を運ぶ計画には、色々な理由が重なり無理である事が分かったのだ。そんなこんなで泣く泣く全面的に操縦を諦めた過去がある。

     

     と言うことで、今は他の得意分野であるIT関連の知識を磨き各方面に興味の矛先を向けいる。ということは机に向かう時間が半端でなく、体を動かすことが極力少なくなってしまった。

     

     これが体に良いわけはなく、心配した私が思い付いたのがBONSAIクラブへの入会であった。

     もちろん鉢植えの木を前に、矯(た)めつすがめつしながらチョッキン、チョッキンとハサミを入れることが運動になるとは思わない。

     だがこれなら私も、育った文化的な背景から知識を得るのは早く、BONSAI FRINDSを作るのも可能かと単純に思ったのである。

     

     ところがこれは実に「浅はか」な考えであったことがすぐに分かった。一回目の会合に出席した後の夫は大変なご立腹(!)。「自然に自由に伸びようとする根や枝を、針金を使って人間の思惑通りにするなど自分は賛成できない!」とのたまったのだ。

     

     良かれと思った妻の思惑はあえかに消えてしまった。

     だが私は自分が盆栽の「盆」も分からない内に辞めるのはしゃくにさわるので、時には友人を誘ったりしながら今も会合に出席している。

     

     また今冬の訪日の折りには、盆栽の町として有名な埼玉県の土呂市を訪れ、一般に公開している盆栽園を幾つか見て廻ったりもした。

     

    土呂駅の正面入り口

     

    駅の近くにある「さいたま市大宮盆栽美術館」

     

    2月末という季節柄、町中は紅梅が至る所に咲き得も言われぬ香りが漂っていた。

     

    土地の人によると、女性の園主はテレビ出演が多いことで知られているとか。「清香園 せいこうえん」の入り口

     

     

    高価な盆栽を闇夜に乗じて盗む人がいるという。防止のために塀の上には有刺鉄線が張り巡らされている盆栽園もある

     

     

    盆栽と言えば確かに針金などを使って、自分好みに曲げたりねじったりするのは不自然という考えもある。

     

    Victoria Bonsai clubでの講習会風景

     

    だが体の大きなカナダの会員たちが、小さな植木の型作りに夢中になっているのを見ると、何か微笑ましくも感じるのだ。

     

    時には庭に出て自分の盆栽を持ち込んで専門家からアドバイスを受ける

     

     いつもながら自分の全く知らなかった世界を知ることに興味津々な私は、新たな世界が開けた感もあり、今は「ご隠居さんの手慰み」等と思っていた自分を反省している。

     

     ところで夫はと言えば、最近お気に入りの電気自転車を買った。本土のバンクーバー市にある自転車屋から取り寄せたのだが、買って間もなくその自転車屋と提携しているビクトリアの同業者からエクスパートの技術屋が来てチェックしてくれた。だがメカに滅法強い夫は、その専門家が驚くほどの知識があるため、ちょっとした不具合は全部自分で調整してしまう。

     

    自然の多いビクトリアには打ってつけの趣味であり何よりも良い運動になる。おまけに休息で木陰に休んでいると、まだ珍しい電気自転車に興味を持つ人々が寄って来るため、そんな人々と「自転車談義」に花を咲かせて

    いるようだ。

     

    〜*〜*〜*〜*〜*〜

     

    閑話休題・・・

     

    以下の写真は盆栽クラブがある植物園内に位置する「タカタ・ガーデン」と呼ばれる日本庭園の風景。数多くの盆栽がそこかしこに並んでいる。

    入り口の一角には日系人の悲話にまつわるモミジが植わっている。

     

    真珠湾攻撃で始まった第二次世界大戦後すぐに、西海岸に住む日系人達はカナダ政府によって内陸のロッキー山脈の麓に強制移動させられた。それ以前に日本人が経営していたビクトリア市郊外の「ティーガーデン」と呼ばれた公園に植わっていたモミジが、あるカナダ人の手によって彼の家の庭に移植された。

     

    戦後50余年経った1999年に、日系人を中心とした有志の寄付でビクトリア市の北に「タカタガーデン」と呼ばれる日本庭園が造られ後、2008年にそのカナダ人家族が大切に育ててくれたモミジを寄付してくれた。樹齢は100年以上と言われているが、その後も枯れることなく立派に育っている。(↓)

     

     

    庭の各所に見られる盆栽の数々

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    | - | 13:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    知る人ぞ知るInter-Cultural Association (ica)of Greater Victoriaの活動
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       移民としてビクトリアに最初の一歩を踏んだ人々の中には、ICAと呼ばれるこの組織のお世話になった人は多い。もちろん日本人の中にもいる事だろう。知る人ぞ知るその活動は、BC州で1971年に設立され、多くのNew Comersに各方面の手助けをしている。

       

       それぞれの理由で自国を離れ、カナダと言う未知の国で新たな一歩を踏んだ経験のある人たちには覚えがあるだろうが、新開地での生活には誰も希望と同時に一抹の不安を感じるものである。

       

       

       英語クラスも常時開講しており助けになるが、日々の生活の第一歩を踏み出すには多大な勇気を必要とする。だが年月が経ち生活に慣れると共に、移民たちは自信と勇気を得てカナダ社会の一員として同化して行く。

       

       興味深いことにこの組織は、移民の人々へ手を差し伸べるに留まらず、いわゆる弱者の立場に立った視点で他の多くの活動も行っている。

       

       例えば6月半ばに二日間に渡って開催された「A Conversation about Ageism & The Value of Aging Across Culture」というイベントは、老齢者への社会の差別や加齢に伴う自身の思いなどを語りあおうというものであった。

       

       カナダの素晴らしいところは、こうした催し物に必ず背景の異なる他文化の人々を巻き込んで行われることである。

       

       ヨーロッパ系の白人が特に多いビクトリアでは、バンクーバーやトロントと違い、国が推進する多文化主義という言葉が浮いてしまう感じさえすることがある。

       

       筆者はトロントから当地に国内移住して来た数年前、ここは「白人の最後のフロンティアである」と聞かされて心底納得したのを覚えている。

       

       どんな会合に出てもパーティーに行っても、いわゆるvisible minorityである可視的少数派の出席はとても少ないか、皆無であることも稀ではないからだ。

       

       そんな中、今回のイベントはAcross Cultureと言う謳い文句や、またこのイベントをどのように仕切るのかに私はとても興味をそそられた。とは言え出席してみれば、やはり95%はヨーロッパ系白人であることに変わりはなかったが・・・。

       

       日本でもシニア向けのイベントに参加するのは女性が多いのが常だが、ここも例外ではなかった。

       

       夫妻での参加も何組かあった中、外見はお歳を感じさせられるものの、元気で溌剌としたシニア女性が多くを占めていた。

       

       日本人と違うのは、他人の思惑などを余り気にしない為、どんな質問にも多数の意見が飛び交うし、デモストレーションでは臆せず積極的に人前に出る。

       

       

       また「シニアに対する社会の偏見に遭遇したことがあるか?」の質問には、司会者が前に置かれた黒板代わりの紙にまとめて書くのももどかしい程の経験談が語られた。

       

       先日雇った若いガーデナーが、予想以上に木々の枝を伐採してしまったので、怒ったところ謝りもしないで「心配しなくていいよ、また伸びるから」と言われたとか、全くの他人から「honey」と呼ばれて「馬鹿にされた感じがした」などの話には、似たような経験をした人から大いなる拍手が沸いた。

       

       こうした話で打ち解けて来てからはグループセッションに入り、最初は二人一組になって自分の名前の由来やその意味を相手に伝える。例えばよくあるBarbaraMaryDavidと言った名前にも、付けた親の思いや本人の気持ちがありそれぞれの出生が感じられて興味深い。

       

       

       次にグループは数人に拡大されて、日々の生活の中で感じている思いや、過ぎ越し方の思い出などを自由に発表する。言って見ればそれは自己開示と言えるだろうが、決して強制するものではなく、どんなテーマでも語り部の人以外は静かに聞くという姿勢は守らなければならない。

       

       発表者のテーマに対して聞き手たちは決して「自分も同じ経験をした」とか、「そういう時にはこうした方が良い」等の意見は言わないことが鉄則。一人の持ち時間は3〜4分程と限られていて、話し終わったら全員が一言「Thank you」と言って話し手を労う。

       

       会の終盤には、各グループから選ばれた一人が会場の全員の前で同じ話を披露する。笑いを誘う話、ちょっとしんみりとする話、多くの共感を得る話・・・等々。

       

       

      会の進行をしたファシリテーターのアフリカ系カナダ人女性

       

       自分とは違った生き方や考え方を知るのは楽しく、有意義な時間であったし、会の運び方に無駄がない事に感心させられた二日に渡る各二時間余りのイベントであった。

       

       

       

       

       

       

      | - | 03:55 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      言葉の変遷
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        ヒラリー氏

         

         

        ビクトリアの観光シーズン

         

         毎年「ああ、ビクトリアにいよいよ観光シーズンが来たな」とそのサインを感じさせてくれる春先の様子を見るのが私は好きだ。梅が終わり桜が咲き出す頃になると、町中には人力車、馬車、観光客用の“Hop-on Hop-off”のサインが車体に書かれた赤い二階建てのバスが走り出す。

         

        ビクトリア市のダウンタウン

         

         お天気が飛び切り良い日には、二階の屋根がオープンになったこのバスには、溢れんばかりのツーリストが乗っていて、ここぞというスポットに来ると速度を落とすため、皆一斉にカメラを構える。何処の国からの人々もこの動作は同じで、見ていると何だか微笑ましい。

         

        ビクトリアのダウンタウンはこの時期観光客で一杯になる

         

         もう大分昔の事になってしまったが、私も夫と共に2人の子供を引き連れて、世界の幾つもの国々を訪れた経験がある。その当時は今のようなテクノロジーの発達は無かったので、記念撮影はもっぱらカメラであった。4人揃って撮りたい時には、周りの誰かにシャッター押しを頼まなければならなかった。

         

         当時はオートフォーカスのコンパクトカメラが主流で、俗称‟バカチョン“と呼ばれた持ち運びのた易い、素人でも操作の簡単な物が大方を占めていた。

         

         この呼称の本来の意味は「馬鹿でもチョンとシャッターを押せば写真が撮れる」ということで使われ始めたそうだ。だが後日「チョン」が「チョンコ」という朝鮮人への侮蔑語に通じると解釈され、放送禁止用語になったという。

         

         丁度北米では、昔日本人を公に「ジャップ」と呼んでいた頃があったが、それは「ジャパニーズ」の略だったと昔を知るシニアの欧米人は言う。しかし時が流れ、このように呼ばれることに不快感を持つ日系人が増えたことで、今では禁句になっているのと同じことだ。

         

         言葉は時に鋭い矢のように人の心を射抜く。たった一つの単語でもそれによって傷つけられる人がいるのなら、再検討の余地がある事は言うまでもなく、使用禁止になるのは当然である。

         

        呼称の移り変わり

         

         記憶に残っている日本語の呼称変更論議の一つに、日本経済新聞の夕刊を賑わした「トルコ」という言葉があった。

         

        かなり昔のことになるが、その当時これは、いわゆる法すれすれで商売をする特殊浴場/マッサージパーラーの代名詞だったのだ。それに対し日本在住の某トルコ女性が不快感を示し別称を呼び掛けた。これが静かな社会問題に発展し、その後「ソープランド」と改名された。

         

         だが不思議なことに、今この二つの言葉の歴史をWikipediaや広辞林の第4版(1991年)で調べても載っておらず、言葉の変遷が抹殺されてしまった感がある。

         

        『混血児』『アイノコ』『ハーフ』

         

         もう一つは、別称を呼び掛けたものの残念ながら成立しなかった言葉に「ハーフ」というのがある。一般的には、日本人と外国人との間に産まれた子供を指すことは今や誰でもが知ることである。最近ではテニスの大坂ナオミ、タレントのローラ、ベッキーなどを始めとしてスポーツ界、芸能界にはワンサといて全く珍しいことではなくなった。

         

         だがこの言葉にも変遷があり、戦後すぐには「アイノコ」「混血児」と呼ばれた時代があったのだが、今それを知る人はまことに少数になってしまった。

         

         今は押しも押されぬ俳優として活躍している草刈正雄も、自分の出生で辛い思いをした時期があった事を以前明かしている。

         

        オフィシャルサイトより

         

         これもやはり日本経済新聞が「ハーフ」を「ダブル」にする呼びかけのような記事を載せたものの、いつの間にか立ち消えになってしまい新語は生まれなかった。

         

         その時の「ハーフ」の人たちの言い分は「人格が半分としか見られないようで嫌だ」というものだったのだ。私もその思いはすごく理解でき「ダブル」という言葉の誕生を強く望んだものだ。

         

         さて、どうでしょう?

         これ程沢山いるハーフの皆さん、もう一度ここで「ダブル」に変える大きな波のうねりを引き起こして見ませんか?

         

         

         

         

         

         

         

        | - | 07:53 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        帰巣本能
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          ヒラリー氏

           

          望郷

          最近シニアになってから「生まれ故郷に帰ろうか・・・」と迷う人の話をよく耳にする。もちろん日本人の場合は日本へとなるのだが、例えばイタリアやメキシコからの人たちも、彼等とのふとした会話から、そんな思いを感じている人に出会い驚かされることがある。

           

          どの人もすでに何十年もカナダに住み、当地での生活に慣れて心身ともに自由に暮らしている。だが歳と共に生まれた故郷への思慕がつのって迷いが生じるのであろうか。

           

          これは経済的に豊かで、度々本国に遊びには帰ることが可能な人達でも、それゆえに返って、年齢と共に精神を癒してくれる(かもしれない)場所が懐かしいようだ。

           

          動物には帰巣本能というものがあり、そのために鳩は巣から離れても再び戻って来られるし、犬や猫もかなり遠くに連れて行っても飼い主の元に戻ってくることが多いと聞く。

           

          また人間の場合よく例に挙げられるのは、罪を犯して何年も逃走し続けても、年月が経つと故郷が懐かしく「ちょっと・・・」という思いで戻ってくることがあるため、警察はこうした生得的能力を利用して犯人逮捕につなげると言われる。

           

           

          面白いことにこの帰巣本能は男性の方が女性より強いそうで、当然ながら年齢によっても差があるようだ。しかし例え故郷が緑なす田舎で、昔は野原を駆け回って遊んでいた懐かしい思い出があっても、♬ウサギ追いしかの山、小鮒釣りしかの川・・・♬が、今も同じであえない事は大方の人は知っている。

           

          そんな原風景に再びお目に掛かれるとは思えなくても、故郷が懐かしく思えるのが「望郷」と言うものなのだろう。

           

          終わった人

           

           

          この23年日本で非常に話題になっている作家・内館牧子の『終わった人』という小説がある。すでに読まれたり、映画化されたのを観た方も多いかと思う。

           

          これは日本の典型的なサラリーマンの退職後の人生を描いている。毎日が日曜日になった主人公は暇を持て遊び、何とか退屈な日々から逃れようと職業安定所のハローワークで高齢者向けの職探しをしたり、カルチャー教室に通ったりと試行錯誤する。

           

          だが高学歴と立派な職歴がネックになり、思うように舵を切れず悶々とした日を送る。

           

          そんなある日、スポーツジムで知り合った新興のIT企業社長と出会い、思わぬ人生の転換が訪れる。だがそれも23年後には借金を背負って潰れ、理想とした輝かしい退職後の人生が送れない。

           

          それに並行して専業主婦だった妻は、子供が巣立った後に美容学校に通って資格を取り、近所の美容室でつつましく経験を踏んだ後、自分の店を経営するまでになって行った。

           

          当然ながらギグシャクとした夫婦関係になり、それにピリオッド打つために二人は「遠距離婚」を選び夫は生まれ育った盛岡に戻ることを決心する。

           

          ビクトリア市は盛岡と姉妹都市。両市友好の印である鋳物で出来た鐘が、ビクトリア・ハーバーに近い公園に設置されている。勿論鐘が重いのは分かるのだが、以前当市の市長だったという某建築家がt造った支えの枠組みは、頑丈な出来ではあるものの何とも頂けない。もう少し優雅にできなかったものか?!

           

          勿論そこ迄決心するには長い心の葛藤があるものの、家があり、親兄弟が居て、友が居る故郷は彼にとっては何よりも心の安らぎを与えてくれる場所なのだ。

           

          東京を離れる日が近い真冬のある夜、同郷の友と酒を酌み交わした二人は、したたか飲んで別れを惜しんだ。その時友人の口から出た言葉は「胡馬(こば)北風に依(よ)る」であった。彼は「北方で生まれた馬は、北風が吹くたびに故郷を懐かしむ」という意味だと説明する。

           

           これはあくまでも想像の世界の小説ではあるものの、ふと室生犀星の「「ふるさとは、遠きにありて思ふもの〜」で始まり「遠きみやこにかえらばや」で終わる『抒情小曲集』の中の詩が頭をよぎった。

           

           架空の人物たちの物語ながら、主人公に心からのエールを送りたい。

           

           

           

           

           

           

          | - | 07:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          訪日雑感
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            ヒラリー氏

             

             

             

            例年なら11年半程の間隔だった訪日が、諸事情で今回は2年半振りであった。たったそれだけの期間なのに、日本の発展振りには目を見張るものがあった。

             

            特に東京周辺では、周知のオリンピックを前に突貫工事が日夜行われている。渋谷などはその好例で「23日行かないと出入口が全く違った場所になっている」と住民でさえ驚きを隠せない様子だ。

             

            江の島がオリンピックでヨット競技の会場になる。

            そのため小田急線の終着駅、片瀬江ノ島駅も化粧直しをしている。

             

            首都圏のそこここで行われている、天を貫くほどの騒々しい工事の音を聞きながら、オリンピック開催国に起こりがちな大会後の不況が「どうか日本に起こりませんように!」と願わずにはいられなかった。

             

            加えて思いを巡らせたのは、来月(41日)から改正される出入国管理法の施行に伴って、日本で働く外国人の受け入れ枠が広がることへの深い思いであった。

             

            総務省と厚生労働省が発表した最新の統計を軸に、日本経済新聞が発表した「外国人依存度」を全国平均で見ると、2009年には112人に一人だったのが2018年には46人に一人になっている。伸び率は2.4倍でこれは大阪も同比率だが、鹿児島、福岡に至っては3.7倍である。

             

            改正施行は来月とは言え、すでにオリンピック関連の突貫工事の現場で働く労働力を、この助っ人たちが補っているであろうことは想像に難くない。

             

            今や広島の漁業、茨城の農業などを始め、彼らの手を借りなければ成り立たない仕事が山積みしているのだ。

            業種別の人種分布を見れば、いわゆる肉体労働を伴うような仕事にはタイ、インドネシア、フィリピン、中国、韓国・朝鮮と言ったアジア系の人々が殆どで、教育・学習支援、生活関連、娯楽業、公務などの‟きれいなお仕事“にはアメリカ、イギリスからの人々が多いことが分かる。

             

            豊富なお総菜売り場。こんな所にも外国人労働者が働いている

             

            しかし政府は、主に肉体労働を補う14種の仕事に就く予定の34万人(5年間)は、例外を除けばあくまでも「日本の労働力不足を補う一時的な滞在者」であり、将来移民として定住することは今の時点では視野に入れていない。

             

            だがこれだけの人数が日本全国に散らばって行くとなれば、働き手の数だけの個々の思いと生活があるわけで、十羽一絡げにまとめること等出来ない相談だ。

             

            加えてその多くが若い男女であることを思えば、将来同国人同士、あるいは日本人との「恋や愛」が芽生えることも不思議ではない。にもかかわらず、もし女性が妊娠でもしたら「はい、それ迄よ」とばかりに日本を追い出される羽目になるという。

             

            また妻子は同伴できないことが原則のため、もし男性が日本女性と関係を持ち、その女性が子を産んだ場合、子供が日本国籍を持つことは可能になる。今流にいえば「不倫の関係」だが、そうなれば本国の妻子たちとトラブルになることは目に見えている。いつもながら政府の考えの浅さによる社会問題が起こることは必須だ。

             

            訪日中のある日、私は東京へ向かうJR線の中で隣に座るネパールから夫婦で来ているという女性と言葉を交わした。

             

            まだ34歳とのことだが国の風習として早婚なため、すでに18歳の息子がおり、今はオーストラリアの大学に留学しているとか。「ネパール語、英語、日本語が堪能なので将来は三ヵ国語を活かしての仕事について欲しい」と言葉少なに語っていた。

             

            「で、あなた達将来はどうするの?」との問いに、「日本では移民になれないから、働けなくなったら本国に帰る」という。ビサの詳細は聞かなかったが、日本経済の底辺を支えるこうした人たちを「日本は見捨てるの?」と私は怒りさえ覚えた。

             

            だが将来は「なし崩し移民」も可能になるかもしれないという意見も聞かれはするが今のところは不透明だ。

             

            政府の施策のなさで迎えた自業自得の少子高齢化問題を補うには、こうした労働力を大事にしなければ日本の将来はないとつくづく思ったものだ。

             

            二月半ばには久しぶりに鶯の声を聞いた。

            「梅」に「鶯」とは言え、まだ寒い日々で唱歌「早春賦」を思わず口ずさんでしまった。

             

             

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            「孤独死」への不安
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              ヒラリー氏

               

               

              一月も半ばを過ぎたある日、日本からのメルマガ(朝日新聞)に「自分の孤独死「心配」増加、50%に」という記事が載った。

               

              日本の少子高齢化問題が、いつ頃から人々の口に上るようになったかの記憶は定かではない。だが今や大変な社会問題であることは、たとえ外国住まいでも、日本にルーツのある人なら誰もが知るところであろう。

               

              古い価値観が崩れ自由な生き方が進むに従って、出産年齢層の若い人々が子供を産まなくなった。それに半比例してシニアは増える一方である。戦後生まれの「団塊の世代」の中でも人口層が著しく多いのは19471949年生まれで、彼等も今や7072歳になろうとしている。

               

              元気なシニアが多くなったとは言え、この年齢になれば昔のように体力の無理は利かず、記憶力が徐々に低下し、人によっては持病を抱え、最悪の場合いつ死んでも驚くに当たらない年齢と言える。

               

              例え子供がいても、近所に住んでいない限り「いざ」と言う時に頼りにはならないし、彼等はちょうど働き盛りで、仕事の関係などで遠くに住んでいる場合も珍しくない。

               

              加えて大概の親は、「子供に迷惑を掛けたくない」と異口同音に言い、自分のために子供の将来を犠牲にすることは好まない。これはカナダでも同じである。

               

              となれば、メルマガの記事のように「孤独死」などという言葉が他人事でなくなるのである。

               

              この朝日新聞の記事は「人口減社会」をテーマに実施した世論調査の結果とのこと。数字を10年前のものと比べると、孤独死を心配する人は「多いに」と「ある程度」を併せ37%から50%に上昇している。

               

              国の推計では、2040年には全世帯の40%が一人暮らしになるそうだ。その内、家族以外で頼りになる人を聞くと、「福祉サービス」(36%)「友人」(26%)「近所の人」(16%)との結果が出ている。

               

              現在EUからの離脱問題で揺れる英国では、去年の丁度今頃メイ首相が、「孤独担当大臣」という新設のポストを設けて世界中で話題になった。

               

              この政策はシニアの問題だけに限定しておらず、子供や身体障害なども含んでの調査の結果設けられたもので、900万人もの人が「しばしば孤独」を感じており、その2/3が「生きづらさ」を訴えているとの報告だった。

               

              ではカナダに視点を移し2016年の国勢調査を見てみよう。

               

              BC州のビクトリアでは「未婚、離婚、死別」の合計は41%(カナダ40%)で、また一人暮らしは人口の33%(カナダ28%)との結果が出ている。

               

              移住記7

              ビクトリアの元気なシニアたち

               

              ちなみにビクトリアの平均寿命は83.1歳で、カナダの平均81.9歳と比べると1.2歳の違いがある。当市はカナダ国内で一番気候が温暖なため、老若男女を問わず、またどんな天候に寄らず、とにかく一年中「歩く」「走る」に怠りない人が多い。それが長生きの理由の一つとは容易に考えられるだろう。

               

              歩くのが大好きなシニアたち

               

              とは言え、リタイア後にビクトリアに国内移住して来たものの、冬は太陽の見えない雨の日ばかりが続くのが嫌で、キーンと空気の冴えた、太陽がキラキラと輝く−40℃の極寒の古巣の町に戻る人もいると聞く。

               

              当市の日本人移住者の間でも、シニアで一人暮らしの人はそれなりの数と思うが、最終的に「老後は何処で・・・?」と自問する人達の答えは何が一番多いのだろうか。

               

              知りたい所である。

               

               

               

               

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              刺青の威力
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                ヒラリー氏

                 

                 

                最近親しい女友だちが、左の二の腕の肩に近い部分に刺青をした。

                 

                ビクトリアのダウンタウンでやったそうだが、図柄は葉をつけた赤いポピーで、その出来上がりには大いに満足していると言う。あまたある店を前もって幾つか廻って調べた結果、"ルーニー"と呼ばれるカナダの1ドル硬貨(親指の先)くらいの大きさの場合、何処も$100150と言うことが分かり、客の応対が一番良かった店を選んだそうだ。

                 

                 

                 

                今や刺青は若者を中心としたポップカルチャーの象徴の一つ。特にBC州では、とうの昔からカナビス・カルチャーと相まって今更驚くに値しない流行である。と言え、痛い思いをするのだから、施すには誰にもそれなりの動機や理由がある筈だ。

                 

                友人の場合は「自分の弱さを断ち切りたかったから」と言う。つまりその為のインセンティブが欲しかったということだ。一見すると彼女は決して「弱い」と言う感じを受ける人柄ではないが、それなりの心の葛藤がきっとあった故であろうと理解した。

                 

                刺青はただ「カッコいい」からと言うばかりではなく、人によっては「心の苦しみから抜け出す一つの手段」である場合が多いとはよく知られることだ。

                 

                特に女性の場合は、例えばレイプなどの悲劇のトラウマから、また兵士などは戦場での悲惨な体験から立ち直れず、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を抱えている場合など、刺青が精神的な支えを与えると言う。

                 

                一方、美容のために眉毛の薄い人が黒の刺青をする人を見ることがあるが、これは色が落ち着くまで中々時間が掛かるようで、当初はメキシコの女流画家フリーダ・カフロそっくりになる。

                 

                 

                また毎日眼の廻りにアイライナーを描くのが面倒、口紅を塗るのが億劫ということで、色を付けた女性を知っているが「その痛かった事と言ったら!」と述懐していた。これは刺青とは言わないのだろうか。

                 

                そういえば最近日本(大阪)では、医師免許がないのに客に刺青をした30歳の男性彫り師が、医師法違反の罪にとわれていたが、大阪高裁は「タトゥーは医療を目的とする行為ではない」と判断し、一審で下した罰金15万円と賞罰を破棄して無罪にした話が多いに話題になった。

                 

                もちろん裁判では、保険衛生上の問題点など各方面からも検討されたというが、今や美術的な意義や社会的風俗という実態があることを考慮し、「医師の業務とは根本的に異なる」と判断されたと言う。

                 

                とは言え、まだ日本ではヤクザ映画などの影響で、刺青と言えば暴力団とオーバーラップし、負のイメージが浸透している。だが来年(ラグビー)、再来年(オリンピック)には大々的なスポーツの祭典が、また2025年には大阪万博が開催されるのに伴い、タトゥーをした多くの観光客が訪日することも容易に考えられる。それを受けて最近では温泉旅館などでも、彼等を受け入れる動きも出始めているとか。

                 

                くだんの友人も彼女が日本人と分かると、タトゥーイストが「日本のホット・スプリング(温泉)に行けないよ」とニヤリとしながら目くばせしたとか。対して彼女は「もし文句を言ったら、そんな温泉には行かないから問題ない!」と返したと言う。ビクトリア在住の彼の友人で英語教師として訪日した男性が、滞在中の二年間刺青のある薬指にずっとバンドエイドをしていたという話を知って彼女をカラカったらしい。

                 

                でも「一体どんな人がお客さんなの?」の質問には、「もうそれは様々でそれぞれが沢山の理由で来るよ」と言い、最高齢は93歳のおばあさんだったとか。

                 

                しかしやはり年齢が上がるほどに、鈍痛からの回復には時間が掛かるということだ。

                 

                〜*〜*〜

                 

                記せずして11月24日付け朝日新聞は以下のような社説を掲載している:

                 

                https://www.asahi.com/articles/DA3S13782909.html?ref=nmail_20181124mo

                 

                〜*〜*〜

                 

                私の大好きな歌人、与謝野晶子の罌粟の花にまつわる歌に以下の一句がある。

                 

                女流詩人として大活躍する晶子とは裏腹に、創作に行き詰まり、庭の蟻がせっせと動き回っているいるのさえ「当てつけ」と思えるようになった鉄幹。

                 

                夫婦の関係に亀裂が生じていた時、晶子は大きな屏風に筆で歌詞を書いて売るなどで資金を選出し、夫に新開地が開けることを切望しながらヨーロッパに送り出す。

                 

                その後、晶子自身も鉄幹を追って欧州旅行に同行する。時は5月、仏蘭西で見た罌粟の花(コクリコ)の野辺を見て詠ったものに以下の一句がある:

                 

                ああ皐月

                   フランスの野は 火の色す

                      君もコクリコ 我もコクリコ

                 

                 

                人生の諦観を詠んだこの歌も心に沁みる一句である:

                 

                罌粟の花

                    崩れしままを見るごとく

                        悲しきことはそのままにおく

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                                

                 

                 

                | - | 01:02 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                カナダ国内でマリファナ(大麻)解禁
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                  ヒラリー氏

                   

                   

                  2018 年10 月17 日は、二年前にジャスティン・トルードー氏が首相になった時からの公約であった「嗜好品としてのマリファナ喫煙」が、連邦政府として立法化(C-45 )された日である。

                   

                  解禁を喜ぶ若者

                   

                  カナダの夜明けは、東部のニューファンドランドから始まるため、当地では若者たちが我先にと店に押しかけ、長蛇の列を作る光景がニュースとして流された。

                   

                  国全体が承認しているのは南米のウルグアイが先であるが、先進国(G7)の中ではカナダが初めてである。米国の場合は、ワシントンDC やカルフォルニア州など9 州では許可されているが、カナダと違って連邦政府としては違法である。

                   

                  トルードー氏が2015年に首相に選出されたのは、この公約ゆえに若者から絶大な支持を得た等とも言われたせいか、彼らは「約束が違う、一体いつ法案が通過するのか!」といら立ちを隠さなかった。

                   

                  4月20日のマリファナ・デーには、すでにこんなハリボテが市庁舎前の広場で気勢を上げた

                   

                  政府が立法化に踏み切った理由は、今までのように違法を承知で犯罪組織の資金源として売買されるのを防止するためであり、また若者たちが陰で喫煙や取引をして警察に挙げられるより、合法化して規制するためと言う。

                   

                  何しろ50 万余人ものカナダ人が所持によって「前科」と言う罪状を背負っており、米国などに入国は出来ない。これを取り消すには「恩赦」に頼るしかなく631 ドルと5 年間の待機期間が必要である。

                   

                  今年の4月20日 市庁舎前で

                   

                  もちろんカナダ国内でも賛否両論があり、小さな子供やティーンエージャーなどがいる家庭や高齢者たちの間では「賛成しかねる」と言った意見が多く聞かれる。

                   

                  加えてヘルス関係者たちからは、まだ研究や調査が十分とは言えないうえ、将来の健康(特に若者たち)への影響が懸念されている。

                   

                  解禁以前に、すでにこんな光景が見られた

                   

                  国内のメディアは何処も、大人の喫煙の煙が子供たちへどの様に影響するか、更には大麻入りのアメ、クッキー、嗜好飲料水などが子供の手に渡らないように細心の注意をする必要があるとし、今後起きるであろう不安点を採り上げ「立法化をただ称賛すべきではない」との論調である。

                   

                  当然ながら法の履行に伴い国は細かい規定を幾つも儲けている。その詳細を知りたいと思い、筆者は連邦政府の10 州と3 準州のすべてのウェブサイトを丁寧に調べてみた。

                   

                  各州とも以下の3 か条は一致している

                  1.(ケベック州以外)19 歳以上であること

                  2.30gまでの所持が可能

                  3.一家(一人ではない)で4本までプランツを栽培することが出来る

                   

                  この時期サイトのトップに詳細が掲示されているのは当然だが、オンタリオ州やノバ・スコシア州などは誰にも分かり易くスッキリと解説されている。

                  一方ケベック州などは前置きの説明が長くて難解な上、年齢は「18 歳以上(at least 18 years old)」とある。他州と比べ一年の差があるわけだ。

                   

                  ではオタワの日本大使館のサイトはどうかと見れば、「海外での薬物犯罪・違法薬物の利用・所持・運搬」の欄に一般論としての詳細はあるもののC-45 につては一切触れていない。

                   

                  もちろん日本でもNHK を始めとする放送媒体や各新聞が国際ニュースとして報道したが、何処も「日本は大麻の所持・譲受などは違法で処刑対象になり、海外で行われた場合でも適用されることがある」と結んでいる。

                   

                  日本が薬物の取り締まりに厳しいのは知る所だが、更なる詳細を知りたいと思いバンクバーの日本領事館に問い合わせたところ以下のような返事があった:

                   

                  1.(誰にでもわかることだが)、国内に持ち込みをすれば逮捕される

                  2.もし犯罪に関与していることが分かった場合「国外犯」の規定によって処刑対処になる

                  3.大麻取り締まり法の適用法では使用は禁止されていない

                  4.入国管理局では取り締まれないが、その点の詳細は税関に問い合わせること

                  5.厚生労働省が詳細を把握しているので問い合わせること:03-5253-1111(代表)

                   

                  今のところバンクーバーの領事館に寄せられる外部からの問い合わせは、法律の文言の意味についての質問が主であるとのことだ。しかし難しいのはカナダ国内では違法ではなくなったため、もし「吸わないように」と言ってしまうと内政干渉になりかねないという点であるとか。

                   

                  もしカナダを発つ前に喫煙をしており、入国の際に何か他の理由で逮捕された場合、例えば尿検査が陽性だったらどんな扱いを受けるのだろうか。

                   

                  ふと1989年の長野冬季オリンピックでの出来事を思い出す。その時からスノーボードが競技種目に入ったのだが、バンクーバーから行ったボーダーのロス・バグリアディ選手が金メダルを取ったものの尿検査で陽性と出たため警察に捕まった。

                   

                  この時の彼の言い訳は「壮行会で周りの友人たちが喫っていた煙をが体内に残っていた」であった。オリンピック委員会とどんな取引がされたのか定かでないが、一時剥奪された金メダルは彼の元に戻った。

                   

                  もちろん厳しい日本と言えども、オリンピックの規制をそのまま入国する人々に適用されるとは思えないものの、そんな素朴な疑問も感じる。

                   

                  まだ成立して間がない法令のため、今後の動きに更に注意する必要がありそうだ。

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                  | - | 08:32 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                  死者を悼む
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                    ヒラリー氏

                     

                    バンクーバー・アイランドに住む日系人や日本からの移住者で、八月半ばにRoss Bay墓地で行われるお盆の行事を知らない人は余りいないかもしれない。

                     

                    1989年8月5日に建てられた記念碑

                     

                    これはVictoria Nikkei Cultural SocietyVNCS)が主催するもので、ビクトリア日本友好協会(VJFS)も協力するなどして行事を盛り上げる。

                     

                    日本で「お盆」と言えば、丁度中国のお正月「春節」のように、家族連れで(普通は夫の)実家を訪れるため、毎年この時期は交通渋滞が話題になる。

                     

                    夫には故郷の旧友たちと、久し振りに飲みに行く楽しみもあるようだが、妻は休む暇なく夫の実家で家事を手伝わなければならず、何のための盆休みかと憤懣やる方ない人も多いとか。

                     

                    そこで近年は、夫と子供だけを送って妻は自宅で一人のんびり・・・、と言うのがはやっていると聞く。「さもありなん」と妻の気持ちに同情するが、一方夫の両親たちには、お嫁さんに気遣いなく孫との時間を楽しめる利点もあると言われている。

                     

                    「お盆」などと言う習慣はないカナダだが、ここにも家族が集う「復活祭」「感謝祭」「クリスマス」があり、それなりに似たような問題が生じる場合もあると聞く。

                     

                    さてRoss Bay墓地のお盆の集まりは、特に西海岸方面では知っている人も多いように、もう何年も続いている行事である。

                     

                    バンク―バー・アイランドの各地に散在する日系墓地

                             

                     

                    毎年Stevestonの仏教会からグラント・イクタ開教師がこの島に来られて、2日を掛けて島内のNanaimoDuncanChemainus Port Albanyなどなどにある幾つもの日系墓地を巡る。

                     

                    Ros Bay墓地−グラント・イクタ開教師によって祈祷が始まる

                     

                    私は3年前に初めてこの墓参行脚に参加し、戦前ここに多くの日系人たちが確かに生存していた足跡を目にして驚愕した。と言うのが私がトロントで出会った日系人たちは、BC州方面の出身者が多かったものの、ほとんどは戦後強制収容所からは解放されたものの、住み慣れたBC州の故郷に帰ることを4年間禁止されたため、東部に移住した人達だったからだ。

                     

                    この島に残っているのはお墓ばかりではない。ビクトリア市内には、昔日本人移民向けにホテルを経営していた建物の入り口に、家主(リンノスケ・オオサワ)のイニシアル「R」が真鍮で埋め込まれていたり、多くの日系人子弟が通ったVictoria高校、スポーツを楽しんだRoyal Athletic公園などが今も健在なのだ。

                     

                    僅かだがいまだに残る「R」のイニシャル

                     

                    そんな驚きのインパクトが、昨夏終了した翻訳本「希望の国カナダ・・・、夢に懸け、海を渡った移民たち」の出版に繋がったのである。

                     

                    二年係りで翻訳を終え陽の目を見た訳本

                     

                    永かった翻訳作業の間に何度も思ったことは「彼らの頑張りが今の日本人移住者(そのほとんどは国際結婚の女性たちである)が安定してこの国に住めることに繋がっているのであろうと思ったものだ。

                     

                    膝を付き一年の間にびっしりと苔むしたコンクリートの囲いを洗う

                                

                                水をかけ墓石を清める

                    そんな感謝の意味も込めて、年一度のRoss Bay墓地でのお盆の行事に参加して、先祖の墓石を清め、一輪の花を添え、幼くして亡くなった子供の墓には縫いぐるみを置く(もちろん後からすべて回収する)のは大切なことに思える。

                     

                    Oriental Homeと呼ばれた救済所の子供たちの墓

                               

                                                    ボランティア同士仲良く協力し合って墓所を掃除

                     

                    何よりも清々しいのは、ボランティアの人々が惜しみなく力を併せ、先祖の死を悼む一時に真摯に向き合っていることである。

                     

                    風雨でダメージを受けた墓石をしっかりと調整する

                              

                              ボランティアが働いている間、尺八を吹いて労ってくれる奏者

                     

                    「お盆」という行事のあるべき姿を見る思いがする。

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                    | - | 02:08 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                    時代と共に変わるもの
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                      ヒラリー氏

                       

                       

                       

                       

                      春たけなわの5月に世界を席巻した一番のニュースと言えば、何と言っても19日に執り行われた英国のハリー王子(33)とメーガン・マークル(36)の結婚式であったろう。

                       

                       

                      王室や皇室の人々の結婚式は、庶民の日常からは掛け離れた出来事であるから、いつの時も耳目を集めるのは当然だが、それにしてもハリー王子のお相手には驚いた人が多かったようだ。

                       

                       

                      女優としてのキャリアを持ち、しかも離婚歴がある。加えて母親が黒人、父親が白人と言うバックを持つアフリカ系米国人。

                       

                      一方ハリー王子と言えば、マリファナの喫煙や飲酒で問題を起こしたり、友人の仮装パーティーにドイツのハーゲンクロイツ(鈎十字)を腕に巻いた扮装で出席したり、はたまた全裸写真を撮られたり・・・。

                       

                      お騒がせ行状の多い若者だったが、その度言われたのは12歳で母親のダイアナ妃をあのような形で亡くしたことがトラウマになっていると言う「可哀そう節」である。

                       

                       

                      まあそんな王子様だっただけに、3歳も年上の大人の女性と結ばれたことに英国民の多くは安心したとか。確かに異色のカップルであることに間違いないだろうし、結婚式にも独自性があふれていたことは、今更書くに及ばない程話題をさらった。

                       

                      英王室でただ一人正統派の威厳を保っているエリザベス女王が、この一連の流れを心の奥の奥でどう思っているかは知る由もない。しかし女王の4人の子供の内、一番下のエドワード王子のみが一回目の結婚を維持しているのみで、後は全員離婚経験をしており、その都度醜聞をまき散らしている。長男のチャールス王子に至っては・・・。

                       

                      となれば、欧州で一番伝統を重んじ格調高いと言われる英国王室と言えども、ハリー王子の異色振りなど今更驚くに値しないかもしれない。

                       

                      「人は世につれ、世は人につれ」(本来は「人」が「歌」である)ではないが、時代と共に世の中は変わって行くのである。

                       

                      多様性を意識した二人が伝統をそれなりに重んじながらも、変容、寛容、人種の融和、と言った今後の進むべき道を結婚当初から示したことに大きな拍手を送りたい。

                       

                      あの荘厳な英国国教会の中で、黒人ゴスペル隊が「Stand by Me」を歌ったのも何と異例で素敵なことだったろう!

                       

                       

                       

                      そんな思いをしみじみ感じた2週間後に、私は日本の公益財団法人 海外日系人協会(The Association of Nikkei & Japanese Abroadが、ハワイで開催した「海外日系人大会in Hawaii」というイベントに参加した。

                       

                      例年の開催地は東京なのだが、今年は日本からハワイに初めて移民が渡ってから150年目に当たるため、盛大なイベントが当地の記念行事コミティとの協賛でワイキキで執り行われたのである。

                       

                      それに併せて日本からは秋篠宮ご夫妻が参列されたのだが、英国の王室とは「何と言う違い!!!」かと私は思わず大きなため息を漏らしてしまった。

                       

                       

                      会場へのお出ましは3回ほどあったのだが、出席者には前もって「あれをしてはいけない」「これをしてはいけない」等の決まりを知らされた。

                       

                      またその都度の秋篠宮様の祝辞も決まり切ったものの上、壇上を降りての出席者との交流も形ばかり。

                       

                       

                      しかしこう書けば、「日本の皇室は諸外国の王室とは違う。万が一のことがあったらどうする!日本には日本のやり方がある」という声が必ず聞こえる。

                       

                      だが本当にそうだろうか?

                       

                      特に今回は、ハワイと言う南国のリラックスした雰囲気の中でのことなのだ。形だけを重んじるのではなく、時代と共に、そしてその場の状況に併せもう少し臨機応変に柔軟性を持たせては何故いけないのだろか。

                       

                      心底そう思える、心に刻まれることの全くなかったご臨席であった。

                       

                       

                      だがこれも時が過ぎれば、「ハワイへの移民開始150周年にあたり、日本からは秋篠宮ご夫妻が・・・」となり、ご出席したことだけが燦然と歴史に刻まれることになるのだろう。

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

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