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寄稿文 カナダ - 日本

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タイムスリップ-「COVID-19」の日々
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    先ずは下の6月5日分を読んで頂き、その後、真下の追記6月15日をお読み頂きたい

     

    追記:6月15日

     

    「あと少々で整理が終わる」などと記したが、それはまったく甘い考えだっと気付いている。今日6月15日(月)でもまだ作業が続いており、いささか疲労気味である。

     

     とは言え途中で終わらせる積りはないのだが、微に入り細に入り書かれている「過去」は、私の一代記であることに間違いない。

     

     しかしこうして読み続けて見てつくずく思うのは、「人の記憶のあいまいさ」である。

     

     頭の中で「記憶している」と思っていることが、実は「自分の都合の良いこと」のみを覚えていて、実際にはそれに付随する諸々のことは忘れていることが多いのだ・・・と思い知らされる。

     

     そしてその「記憶」は、何度も繰り返し思い出すことで「真実」になって行き、時には後から起こる関連の経験が加味されて「本当の真実」が歪められていく事もある。

     

     個人の体験でさえことほど左様なら、現在のように情報などが行きかうこと等なかった昔の歴史は、よく言われている事ではあるが、実際には何処までが真実かは分からないものである。

     

     

     

    6月5日 記

     

      非常に私事ながら私は人から「整理魔の敬子さん」と称されることがある。とにかく家の中が整理整頓されていないと、他に何も手につかないのである。

     

     とは言えそれは、自分の設けた基準に沿ってのことであるから、他人から見れば「エッ、この程度で?!」と揶揄さるかもしれないし、もっとすごい片付け魔の人もいる事だろう。

     

     だがこんな性格を褒めて下さる方は「いいじゃない、いつもきちんとしていて」とおっしゃるが、時に自分で自分の首を絞めてしまいかねず、息苦しさを覚える事があるのは困ったものである。

     

     でもこんな性格は、幼少期からのものと兄弟たちは言う。幼い頃の性格が歳を重ねても変わらない例えに『三つ子の魂百までも』というのがある。

     

     それをまるで地で行っているような結果を見るのが、オフィスとして使っている自分の部屋の作り付けの戸棚である。そこに納まっているのは42冊の日記帳と30冊の重い分厚いアルバム(学校の卒業記念などの数冊は別)である。

     

     COVID-19のために、3月半ばから否応なしに家に居ることを課せられている日々に、私は家中を掃除し私物の有りかの詳細を家人に伝えた。

     

     今は若い人の多くもウィルスに感染することが分かっているが、当初は「主にシニアが疾患する」と言われていた。まさにその部類に属する自分が、もし緊急入院して最悪のことになっても、残された家族が私の私的な所有物の処理に困らないようにとの配慮からだった。

     

     私は物書きという仕事柄、取材に使った大量のノート類、元原稿のコピー、新聞・雑誌・パンフレットなどの切り抜き、数々の写真、インタビューのテープなどが山のようにある。年初頭にはいつもかなり整理するものの、今回はタップリの時間を使いそれ以上に断捨離を試みたのだ。

     

     だが最後に手を付けなければならない『砦』が、この大量の日記とアルバムと相成ったのである。さて何処から始めようかと思案の末、兎に角アルバムも日記も形やサイズに関係なく、表紙に書いてある番号順に並べ直し、時代を追って過去にさかのぼる事にした。

     

     物思う心をノートに記すようになったのは、17歳(高二)の春。良くある話でチョッピリ陳腐だが、同級生に片恋慕して何編もの詩をノートに書き出したのが始まりで、その後乙女心の発露として日記を日々記すことになったのだ。

     

     何ともやるせないほど純粋で、可愛らしく、微笑ましくもあるが、思い返せばそれはすでに数十年も前のこと。以後は長い人生の合間にonoffで書き続けた人生記録が2000年前後まで続きこの42冊に収められているのだ。それ以後は、取材ノートにまとめたり、一年事のagenda bookに記されているが、これは数に入っていない。

     

     

     一方分厚いアルバムも幼少期から時代を追ってまとめてあり、まるで「これでもか!」と言わんばかり。

     

     ちょっとした添え書きや旅先の地図、絵葉書、心に残る年賀状や友人からの手紙などと共に、実に整然とページからページに生きた証が貼られているのである。

     

     

     人生に悩み、迷い、はたまた希望に胸膨らませて成長して行った日々。中には思いを寄せてくれた男性たちからの恋文や詩編集も幾つか残っているが、その昔日の日々は当然ながらもう戻っては来ない。

     

     もちろん現在住むこのカナダ・BC州・ビクトリア市を、夫と共に終焉の地と定め移り住む迄には、独り身の時も家族を持ってからも何度か引っ越しをしている。だがその度にヤドカリのようにこれ等の荷物も一緒に運んでいた。

     

     しかし現況のように「不要不急以外の外出を控えるように」などの規制の日々は過去に一度もなかったことで、忙しい日常を送ることに終始して来た。その為に過ぎ越し方を日記とアルバムと共に紐解く時間などなく、今に至ったのである。

     

     あと少々で整理が終わる。COVID-19の終焉が早からんことを心から祈りながらも、今回じっくりと時間を掛けて我が人生を振り返り、時空を越えてタイムスリップする機会が与えられたことを心から感謝している。

     

     そしてしみじみと思うのは、自分なりに精一杯生きて来たことに一切の悔いはなく、思い残すことがない人生を精一杯生きてきたと自負出来ることに満足している。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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