SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
CATEGORIES
ARCHIVES
MOBILE
qrcode
LINKS
PROFILE
OTHERS

04
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
--
>>
<<
--

寄稿文 カナダ - 日本

<< 書評「コーラス・オブ・マッシュルーム」(Chorus of Mushrooms) | main | 日本の国技 相撲 >>
温暖の地に築く「Tent City」 〜BC州・ビクトリア市のホームレス問題 〜
0

    冬の温暖なビクトリア市



    3月初めには桜が咲き乱れるビクトリア市


    カナダの中では気候が一番温暖といわれるバンクーバー・アイランド。確かに州都であるビクトリア市に、冬の間雪が降ることは大変珍しい。
    まれには、うっすらと雪景色の朝もあるものの、太陽が出ればすぐに溶ける。とは言え、冬は雪の代わりに雨が多く、曇り空の日が続くのは珍しいことではない。


    それでも国内のどこよりも温暖な地となれば、冬を過ごすのが楽なことは確かだが、それを見越してこの町に集まるホームレスが当地では大きな問題になっている。

    薬物利用などが理由でこの一年で8人が亡くなったというが、トロントの冬のように路上生活で凍死することはないため、仲間が仲間を呼び寄せることも多くなる。

    実際にバンクーバーはもとより、トロント、カルガリー、エドモントンなどからもヒッチハイクをしながら当地に来る人々もいる。今時はホームレスといえども携帯を持参している人も多く、仲間同士が簡単に連絡を取り合えるようだ。


    たむろして集まる場所は郊外と言う事はほとんどなく、やはりいろいろなことで便利な上、人通りのある場所の方が日銭の実入りも多いことからダウンタウンに集中することになる。

    都会であれば今時は、世界の何処でもホームレス問題を抱えていない町はないと言っても過言ではないだろう。
    もちろんカナダも例外ではなく、
    2年前に国が発表した「2014年度ホームレス年次報告」によれば、シェルターの確保を初めとして、警察との関わりや病院への費用など諸々の関連を併せると、年間約70億ドルが使われているという。


    州裁判所の裏庭

    「ガーデンシティ」の異名があるほど綺麗なビクトリア市は、春から始まる観光シーズン中には、昨今の強い米ドルの影響もあって多くのツーリストが訪れる。当然ながら観光は大きな収入源であるが、街中に見られるホームレスの問題は市に取って長いこと頭の痛い問題になっている。

    特に去年の夏ごろから、ダウンタウンにある州裁判所のレンガ造りの立派な建物の後ろに広がる公園に、「Tent City」と称するたまり場が出来たことから大きな波紋が広がった。

    最初のうちこそ数も少なかったが、季節が移り秋も深まる頃にはその人数が日増しに増え、常時100120人くらいの人々が幾つものテントに寝泊りするようになった。

    中にはしっかりと土台を作り、冬に多い雨が床から染み込まないようにバラックまがいの家を建てる人まであらわれた。


    tent
    バラックまがいの手作りの家

    tent
    階段のついた建物もある

    トイレは公園脇に設置された簡易トイレを使用し、定期的な交換が行われる。またシャワーは近くの互助機関に備えられている場所のを利用することが出来る。


    テント
    「シェルターではなくホームを」のサイン


    「貧困は大きなビジネス」と皮肉ったサインも見られる

    テント
    幾つも並ぶ簡易トイレ

    時の経過と共に公園の周辺住人から、昼夜にわたる騒音や、車庫やバルコニーからの盗難の被害などの苦情が相次ぎ、それをマスコ
    ミが大々的に報道し、問題が益々エスカレートしていっった。


    テント
    連日の新聞の記事

    筆者は何回も時をずらして公園を訪れてみたが、彼らは毎朝の行事として輪になってその日の心境をぶちまける儀式のようなことを行っていた。こうした生まれる仲間意識が強い絆になっていくという。


    テント
    輪になっている様子(中央の赤いジャケットの2人は毎朝様子を身に来るNPOのボランティア)
    後ろの建物がBC州裁判所



    テント
    雨の日の翌朝のぬかるみの処理。ボランティアが手際よくワラをまく


    政府からの援助

    当然ながら、州政府もビクトリア市も問題を黙認しているわけではなく、以前からタウンミーティングを開いたり、あれこれと良案を提出し解決に向けて乗り出している。

    まずは住居の確保ということで、幾つものNGO機関と連携して市内にある今は使われていない建物を改造し、シェルターとして提供している。しかしいずれも永久に住めるパーマネント・レジデンスではないが、市内に数ヶ所そんな場所を確保し、ボランティアの手を借りて改築している。

    その一はTent Cityの公園からわずか2ブロックほどの所にあり、Mount Edwards Courtと呼ばれる如何にも歴史を感じさせる古めかしい建物である。以前はシニア向けの住居として使われていたというが、BC 州は365万ドルで購入し臨時のシェルターに改築した。


    テント
    Mount Edward Courtの立派な外観

    ここは100人ほどを収容することが可能だが、2月末にはその内の38部屋の改築が終了し、Tent Cityからの住人が住めるようにした。食事を提供し、将来のためにライフスキルのトレーニングを行い、また健康管理や薬物依存症の人々へのサポートプログラムなども組みつつある。

    だが今はあくまでも一時的なシェルターとして提供しているに過ぎない。将来もし住居可能な100部屋すべてを低所得者用のハウジングとして恒久的に住めるようにするとなれば、地域住民の理解を求めるために公聴会を開き、許可を得るなどの大々的な手続きを踏まなければならない。


    テント
    「シェルターではなくhomeを」のサイン

    公園がホームレスのたまり場になる前は、この一体は閑静な住宅街でカテドラルと呼ばれるカトリック教会とそれに併設された学校もあることから、どの程度住民の許可が得られるかは大いに疑問で先行きの見通しは立たない。

    加えてこの学校に子供を通わている親たちが、先の見えない地域の環境に不満をつのらせ、最近は子供を他校に移すようになっており、従って教師も職を失いなど負の連鎖も見られるようになった。


    テント
    教会を背にテントが並ぶ

    しかし一方では、こうしたハウジングのプログラムに関わる人々や、BC州の住宅局大臣などは、「ひとたびホームレスの住居が定まり定住するようになれば、彼らにも地域の住民としての認識が生まれ、また地域に住む人たちにとっても新たな住人への理解が深まると思う」とコメントしている。

    だがこうした問題は、関わって被害を受けている人に取っては大問題だが、そうでない人たちはサポートはするものの常にNMBY(Not My Back Yard)となり、喧々ごうごうの争議が持ち上がっている。


    立ち退き命令の225

    市内の梅の花が盛りを迎え、又早咲きの桜もチラホラ見られるようになった225日は、Tent Cityの住民にとって「裁きの日」であった。

    それは州政府の命令で、ホームレス全員が公園から立ち退きをしなければならない日だったのだ。全員の行き先が決まったわけではないものの、この命令によってさぞかしの大移動が繰り広げられるのかと想像していた。

    しかし当日は、晴天で春うららの日であったことも手伝い、切羽詰った雰囲気は一切見られなかった。
    午後
    4時ごろにはバンクバーのイーストサイドから50人ほどの応援団がバスに乗って駆けつけ、ボランティア関係者、メディア関連の人々も入り乱れ、まるで大賑わいのお祭り騒ぎを展開した


    テント
    機材の点検に忙しいメディア・クルー

    テント
    自分で焼いたケーキを持参してきたボランティアの男性

    テント
    一日中ホットドッグ作りを手伝うボランティア

    差し入れのたくさんの食料は、ホットドッグ、チップス、サラダ、手作りのケーキ、果物、飲み物など等・・・。
    Tent Cityの住人に限らず、集まった人の誰かれを問わずに振舞われ、今日が立ち退きをしなければならない「最終日」などという切羽詰まった雰囲気は一切感じられなかった。


    テント
    ポリスも明るい表情で見守る

    本土からの応援団は、民族衣装を身に着けたファーストネーションの人々が多かったが、白人のアクティビストもたくさんいて、次々にマイクを握り「一丸になって頑張ろう!」と意気盛んに思いの丈をぶちまけた。

    特にファーストネーションの人々は、自分たちの出自ゆえに虐げられてきた過去を持つだけに、強いサポートを惜しまない。


    テント
    バンクーバーからの応援に駆けつけたファーストネーションのチーフ

    テント
    本土から来たサポートの人々

    問題の解決に向けて

    ビクトリア市民のどの人に聞いても、この日を境にTent Cityの住人が一斉に姿を消すなどの幻想は持ってはいなかった。

    事実23日後に再度公園を訪れてみると、テントの数は確かに少し減っているようには見受けられたが、「どのくらい減ったの?今の数は?」の質問に、「まだ100人くらい居るかな?」との返事。
    「えっ、それって前と変わらないじゃない?」に対して「移った人の場所にまた新らしく人が来るからね」と言う。


    普通は正式に引越しや国内移住をすれば、移動先の生活を開始するにあたり揃えなければならない書類など煩雑な手続きがいろいろとあるものだ。

    そんな面倒をすり抜けての生活は楽かもしれないとは思う。だが、個々の話に耳を傾けてみれば、社会の流れからすり落ちて路上生活を余儀なくされたバックグランドが容易に垣間見られる。


    テント
    立ち退き命令の5日後、すこしテントの数が減ったように見受けれられるが・・・

    彼らと政府や互助機関の援護サービスをめぐる動きは、何やらイタチゴッコのように思えなくはない。だが、それでも努力を重ねる関係者には敬意を表したいし、これからも途切れることなく続く問題であることにだけは間違いはないだろう。

    (2月末日 記) 

    〜*〜*〜*〜*〜

    後日談:あの立ち退き命令が出た日から一ヶ月経った3月25日。
    一時的にはテントの数が少し減ったように見受けられたが(↑)、また以前と変わらない数のテントと住民が敷地を埋めていた。土地の人々やメディアは「もう当地だけで手に負える問題ではない。国が立ち上がらない限り解決は無理」といった論調になっている。
     

    テント
    また以前とほとんど変わらない同じようなテントが並び始めた
     
    | - | 10:51 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









    http://blog2.keikomiyamatsu.com/trackback/57