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寄稿文 カナダ - 日本

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作家 津島佑子さんの思い出
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    作家の 津島佑子氏が2月に肺ガンのため68歳の若さで亡くなった。

    かの有名な太宰治の娘であったことを知らぬ人はいないだろう。あらがう事が出来ない血の流れとでも言おうか。生前受賞した「文学賞」は14にもなりその数の多さには驚かされるが、作品は自立した女性の生き方や、人間の生死を軸にその真髄に迫り問い続けた作品が多かった。

    それは氏の生い立ちを見れば容易に理解できる。

    多摩川上水で、よその女性と入水自殺した38 歳の父親とは一歳で死別しており、12歳の時には脳性障害のあった3歳年上の実兄が病没。
    更には、父親が又も他の女性との関係で生まれた津島氏とは8ヶ月違いの異母妹、作家・太田治子の存在もある。加えて、自身の私生活では一度目の結婚で娘1人を出産後離婚。再婚相手との間に生まれた8歳の息子を呼吸発作で亡くし、その後この夫とも離婚している。

    人生の辛苦を十分に体験し尽くした作家であったが、作品は日本ばかりではなく、英語、仏語、独語、伊語、中国語など等にも翻訳されており国際的にも評価が高かった。

    すでに20年前になるが、私はこの作家を単独インタビューする機会をもった。氏は当時まだ40代後半で、トロントで毎年開催される国際的に名の知れた作家たちを招待して、自身の作品を読む「国際作家大会」に参加するために来加された時のことであった。


    Tsushima Yuko

    当然と言おうか、その時私はお会するまでかなり緊張した。だが、質問を開始すると気取ったところはミジンもない気さくな人柄であったが、同時に内に秘めた強靭な意志をそこここで感じた。

    その時の貴重な体験を振り返り、今でも私の心に残る氏との会話の幾つかを思い出してみたい。

    まず私がとても知りたかったのは「小説を書く喜びとは何か」と言う事だったが、「私は自分が伝えたいと思うことを小説に書くため『これは届くぞ』と思うものが書けたとき、またはそれを受け止められたと感じられたときはとても嬉しいです」と率直な返事が返ってきた。

    続いて「父親、実兄、息子さんとの死別がご自分の文学に与えたものは?」に対しては「私に小説を書く力を与えてくれたのは、脳障害のあった兄の存在が大きかったと思う」と言い「彼は言葉を使って自分で表現することは出来なかったものの、人間的な感情や知恵に満ち溢れていて人を愛することを知っていました。でも肉体が死んでしまえば後には何も残らないわけです。

    父も小説は残しましたが、若くして亡くなりましたからまだ言いたいことがあったのではないか思います。家族ばかりではなく、語らずに死んでいった多くの人の気持ちを代弁したい、と言う気持ちが文学に進むことを選んだのだと思います」とその思いを吐露してくれた。


    また父親の作品はいつ頃から読み始めたかには「10歳のころなるべく漢字の少ないのを選んで読みました」といい「でも家族が書いた作品と言うのは個人が残した日記を見るようで文学作品としては読めないものですが、ただ何を考えていたかを知りたかったのです。

    私のことを『何てかわいい子だ』なんて書いてあるかと期待したのですが、何もなかったのでがっかりしたのを覚えています」とユーモアのある返事をしながら破顔一笑する笑顔が優しかった。


    幾つもの質問の後に日常のスケジュールを伺った時「私は家の中のことなど、浮世のことはもうすべてやってしまった、と言う生活状態にしないと全身で小説に入り込めないのです」との返事が返ってきた。

    私は内心「こんな著名な作家でも女性となると日常の雑事が優先されるのか」と半ば驚き、反面、それ故に「人間的な細やかな表現が出来るのかもしれない」と納得したのであった。


    ご冥福を祈りたい。

     
    Tsushima Yuko





     

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