Victoria見聞録 2017年4月27日掲載
10 半月ほど前に、日本のフィギュアスケーターとして年余り活躍した浅田真央選手の引退会見をインターネットで見た。それにつて私はある媒体にこんな感想文を書いた。
要約すると:
「白と黒でスッキリとまとめた清楚ないで立ち。襟足できりりと結んだ髪型。薄化粧をした明るい笑顔。知らぬ人のないあの真央スマイルを絶やさずに、一言一言言葉を選びながら質問に答える真摯な態度。幕引きに相応しい非の打ち所のないものであった・・・。
しかし思い出してみると、バンクーバー・オリンピックでのキム・ヨナ選手との競争では、二人のスケーターの「成熟度の落差」に同年齢であるとは信じられない程驚いた・・・。
フィギュアスケートは他のスポーツと違い「観客を魅了すること」を要求される。真央選手は難度の高いトリプルジャンプを正確かつ完璧にこなしたものの、キム・ヨナ選手の持つオーラと比べると、子供が一生懸滑っているとの域を出ることは出来なかった・・・。
その事を自称スケートオタクの友人に話したところ「日本人は『一生懸命』と言うのが好きなのよ」とも言われた・・・。
だからこそ時期を逸した感のある今頃の引退も「悔いなく選手生活をやり通した」というコーテイングされた言葉にほだされて真央ちゃんコールが止まらないのだろう・・・。」と書いて原稿を締めくくった。
だがその後も、私の思いはまだツラツラと続いている。
それは:
日本という国は『清廉』なんてものが大好きで、特に女性にそれがそなわっていることに価値を置く社会である。
だが一方、もう何度も何度も言い尽くされたことではあるが、町中には目をおおいたくなるような半裸の女性の写真やアニメの絵が溢れている。これは初めて訪日する外国人が度肝を抜かれることの一つだが、ジャーナリストである日本の友人によると「てんこ盛りのそのチグハグさが日本の魅力なのだ」と言う。
なるほどね!?
となれば、日本の年末はこの番組がなくては締めくくれない視聴率40%を誇るNHKの紅白歌合戦のトリに、石川さゆりの「天城越え」が選曲されるのも納得がいく。
おせっかい承知でその歌詞を抜粋すると:
♪寝乱れて隠れ宿・・・♪
と始まり、
♪肩の向こうに あなた 山が燃える、何があってももういいの くらくら燃える火をくぐり、あなたと越えたい 天城越え・・・、
ふたりで居たって寒いけど 嘘でも抱かれりゃあたたかい・・・、
隠しきれない移り香(が)が いつしかあなたに浸みついた・・・、
恨んでも恨んでも 躯(からだ)うらはら あなた 山が燃える・・・、♪
と続くのである。
さてこの選曲が、一応日本の常識を行く(とされる?)放送局のメンタリティーとなれば、日本が『てんこ盛り社会』であることの説明にも納得がいくと言うものだ。
とは言え
「『寝乱れて隠れ宿・・・』ってなあに?」
「『躯(からだ)うらはら あなた 山が燃える・・・』ってどう言う意味?」
「『隠しきれない移り香(が)』がどうして『いつかあなたに浸みつく』の? 」
と年越しそばを食べながら幼い子供に聞かれたら、あなたどう答えます?
ええ、私もこの歌が好きな一人なんですけど、でもね、紅白歌合戦のトリに選曲されていいものかしらね?
あっ、そうか、日本はてんこ盛りのゴチャゴチャ社会だったっけ。